芥川龍之介"蜘蛛の糸"を読んで

 芥川龍之介の蜘蛛の糸を久々に読んだ。
 読むのは中学生の時の読書感想文以来で、それまでは読書などする暇もなかったため、休日の空いた時間に読んでいたら、面白さに改めて気付いた。

 あらすじを軽く説明すると、極楽にいるお釈迦様が、地獄で罰を受けている犍陀多という男を助けるために、極楽から蜘蛛の糸を垂らし、その蜘蛛の糸を犍陀多が登っていくが、その下には犍陀多の他にも極楽に辿り着こうと蜘蛛の糸を登る罪人たちの姿が見え、蜘蛛の糸が切れるのを恐れた犍陀多が罪人たちを振りまこうと喚いた途端に蜘蛛の糸は切れそのまま地獄にまた落ちていってしまうといった内容だ。

 私は犍陀多が罪人を振りまこうとした部分を読んで、現代社会においても共通するものがあると思った。
高校、または大学での進学・就職で蹴落とし合いを強制させられ、社会に出てからも上に辿り着くため同僚をを地に着かせ、自分だけが駆け上がっていく現代社会の様は犍陀多と重ね合わせることができた。
 だが、蹴落としてしまったゆえに、蜘蛛の糸が切れてしまい地獄に落ちる場面も現代社会と重ねることができた。
 この蜘蛛の糸は恐らく、普通ではなく、犍陀多の生きたいという強い思い、他者を受け入れ共に進む絆の強さが両立することで素晴らしい強度を作り上げているのだと私は思う。
 犍陀多は生きたいと強く思っていたが、他者を受け入れる心がなく、人を救おうとする気持ちがなかった。自分だけが助かろうとしていた。その時点で蜘蛛の糸の強度を支えていたものがなくなり、ただの糸となり切れてしまったのだと思う。
 現代社会は、まさにこの蜘蛛の糸のようなもので、上昇思考の強さや人の絆によって、徐々に糸を紡いでいき、出世という極楽に続く蜘蛛の糸になると私はそう感じた。人を蹴落としてばかりいると自分もいずれ犍陀多のように現代風にいうと左遷という地獄に落ちていく。結局人間は1人では成し遂げられないことの方が多いものだから人との調和を学ばなければならない。

 これから社会に出る人も、既になにかの役職についている人にも考えてほしい。今自分がいる場所はどうやって辿り着いたのかを、本当に自分だけの力で登り詰めたのかを振り返ってほしい。

 ここまでが蜘蛛の糸を読んで全体的に感じたことである。長くなってしまい申し訳ない。以上で締めさせていただく。

それでは

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