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人生はゲームだ ゲームの楽しみ方はひとそれぞれ

私は人と話すことが好きだ。
でもなぜか、人の話を何も聞いていないようね。と仲の良い友人たちに指摘される。

さすが長い付き合いだ。
「何も聞いていない」まぁ50%は当たっている表現だ。けれども、聞いていないわけではない。

正しく伝えるのだとすると、人の話を人の言語で聞いていない、ということになる。

つまり、私は人の話から、自分の経験に落とし込もうとする
「解釈」に時間を多く使っている。その結果、話を「受け取る」ということに時間を割いておらず、仲の良い友人らは話を聞いていないと、目敏く見つけてくれているのだ。(それを分かった上で仲良くしてくれてありがとう笑)


自分の強みって何だろう。と、さっきお湯につかりながら考えてみた。
その時、感じたのは、何でも経験を自分のものにしようと貪欲であることかもしれない、と気づいた。

今日、会社の先輩とランチを食べた。彼女に言われたのは「何か悩みはないの?」と。話の文脈的に社内の人間関係に困っていないのか?という配慮と優しさ、そしてちょっぴり噂好きな先輩の顔がチラついてしまった(すみません😅)

結論として、私に(人間関係における)悩みはない。
そもそもとして悩む意味がわからない。もちろん、社内が非常にコミュニケーション能力の高い人の集団で、私に対しても手厚くフォローしてくれているからかもしれない。だからこそ、悩みがない、と明言できるかもしれない。

ただ、私が人間関係に悩まなくなったのは、ある時視点を変えてからだった。

「世の中にはこんなに多くの人がいる。なぜ彼/彼女らが〇〇のような考え方をするのだろうか。その背景を探ってみようー!!!」
と、考えるようになってからは、人に対して不満を感じることはなくなった。

それはひとえに、相手に対して自らの勝手な期待値をかけることなく、相手のことをよく知ろう、と視座を変えたからである。

だからこそ、むしろ以前よりも相手に対して詳しく知りたいと思う欲求は増えたし、相手にまっすぐに向き合うことが増えたよ。
友よ、この私のnoteを読んでくれたまえ笑笑


結局、自分のこと以外の事象に対し、自分でグリップを握ることはできない。外部要因に対しては、自分が見方を変えたり、距離を遠く離れたり、逆に近づいてみたり、、、自ら動くことでしか「最適」を生み出すことはできない。

何かに対して、不満を感じる時、
直すべきなのは相手や不満げな事柄ではなく、結局自分なのかもしれない。


そのゲームのルールさえ明確に理解できれば、
どんな困難であっても人生を楽しめるのであろうし、さらに人生の楽しみ方に幅を持たせることができるのだと思う。


苦手な人、嫌いな人にこそ、
自分が学ぶべき要素がたくさんつまっている。

探検家になるような気持ちで、何かに向き合ってみる。それってすごく重要な能力だし、私が得意とすることなのかもしれない、なーんて考えた6月。

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