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「地下鉄は生ぬるい風」あの歌詞はほんとだったよチャットモンチー

社会人になってから約6年続いてきた、地下鉄通勤を卒業することになった。
この春、すこしだけ郊外に引っ越して私鉄通勤をはじめる。

22年間地方育ちで、地元はもちろん進学先にも地下鉄はなかった。
私にとって地下鉄は、高層ビルなんかよりもずっと『都会』を象徴するものだった。

「あとちょっとで、地下鉄主要路線から徒歩5分の、便利すぎる部屋からもオサラバかぁ」なんて、駅からの道で毎日ちょっとしんみりする。
(地元にいた頃は、徒歩5分圏内なんて店は当然なくてギリギリ自販機にたどり着けるかどうかだった)


地下鉄の何がいいって、めちゃくちゃ本数が多い。1本くらい逃しても安心。
ひと駅くらい余裕で歩けるから、定期区間内のどこかで途中下車して寄り道も楽しい。

それに雨でも風でも雪でも止まらない。ホームドアがついてれば、事故による遅延もない(少なくとも私は幸運にも6年間遭遇しなかった)。

いつだって粛々と走り続けていて、地下鉄沿いに伸びる両側6車線の幹線道路、そのまんなかにある通気孔から、地下鉄が走る音を聞くのが好きだった。

しばらく乗らなかったのは、社会がまるごと止まったような、2020年春の緊急事態宣言のときくらいだった。
それ以外は365日で400回くらい乗っただろう。


便利さと安定性。それは当然知っていた。
それからもうひとつメリットがあるって気付いたのは、社会人1年目の冬だった。

冬の朝、通勤電車に乗ろうと駅のホームに降りた瞬間に、やって来た電車の起こした風が、顔をぶわっと撫でた。

「地下鉄は 生ぬるい風」ってフレーズが頭の中で流れた。唇たたく髪の毛の音もした。冬なのに、風があったかかった。


あーーーそうだ、地下鉄のある街にいるんだ今私。どこかであの歌が再現されるかもしんない、そんな街に今いるんじゃん私。

そう思ってテンションが上がった。
それから冬は毎朝、地下鉄の構内に入って空気がぬるくなるのを感じた瞬間に、心の中でによによした。心の中で流れるフレーズ、地下鉄の生ぬるい風。
なんせもうすぐ20代も終わりを迎える、私の青春にはチャットモンチーがいたもので。


高校生だった私にはまだ、うまく名前がつけられなかった感情や感覚を、だいたい曲と詩で説明してくれる存在がチャットモンチーの3人だった。

あの気持ちを歌にしたらこのフレーズになるんだとか。この曲はあの人との思い出のテーマソングだなとか。
あの頃の私は、しょっちゅう3人の曲を通して世界を咀嚼していた。

チャットモンチーがスリーピースを卒業する頃、私もちょうど高校を卒業した。
青春の思い出とセットになった、3人だったチャットモンチーの記憶を抱えて大人になった。


思い入れが強い曲はいつだって今だって、記憶や感情をはっきり呼び起こしてくれる。
だからチャットモンチーにはもちろん、だいたいどの曲を聞いても何かしら思い出す景色や気持ちや言葉がある。

ありすぎるから、どれが一番とかはっきり言えるわけじゃないんだけど。
特に好きだった曲はやっぱりいくつかあって、ひとつが「恋の煙」だった。


「恋」なんてかわいいフレーズに似合わなさそうな、なんとなく危うげで乱暴なメロディ。
わけわかんないまま気付いたら始まっている恋って、こんな感情だろうかと思った。だからそんな相手からのメールの着信メロディにしていた。

百戦錬磨の駆け引き上手な女の子が口ずさんでそうな、かっこいい音を奏でておいて。
「二人ぼっちに慣れようか」なんて、これから初めて恋をはじめてみますみたいな詞を歌う。

何を隠そうあの頃の私は、二人ぼっちを始めることに慣れなかった。誰かにとってのヒロインポジションになるなんて思ってみなかった。
どうしたらいいか分かんないと、じたばたアワアワしていたなって今でも思い出す。



世代じゃないかもしれないけど、この街の地下鉄のどこかで、二人ぼっちを始めようとしてる女の子が聴いてるかもしれない。

二人のこの先の選択肢が全部当たりだって、当たりだけを引き続けてみせるって、信じきってるような女の子。

あの頃の私みたいな夢を見ていて、でも私とは決定的に違う、地下鉄がある街で暮らす女の子。
そんな子とどこかですれ違ってたかもしれない。もしかしたら、地下鉄で私の立ってる席の前に座ってたあの子がそうかもしれない。


そんな風に思える、都会にしかない地下鉄って乗り物が好きだったなぁ。

あ、でも、各停しかなかった地下鉄と違って、これから使う私鉄には快速がある。終着駅まで行かないけど。


1年の電車の乗車回数が2桁だったあの頃みたいには、もう電車に乗るたびわくわくできないし。
何なら通勤したくない電車に乗りたくないって、大人になってから何度思ったかもうわかんないけど。

けど、電車通学とか通勤って、やっぱり毎日がちょっとドラマだ。
四半世紀くらい、最寄駅が最寄ってなかった人生だったからそう思うよ。


もうすぐ春が来て、きっとまたどこかの駅で誰かのドラマが始まる。
私の新しい最寄駅かもしれないし、さよならするこの最寄駅かもしれないし、今使ってる路線のどこかかもしれないし。

どこかでまた、こんな歌が似合いそうなひとコマがあったらいいなぁと思う。

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