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この歌よ私を明日まで連れてゆけふわりと響く透明な音

いつでもそこにあると思っていたものが急に惜しくなるのは、いつだって失くすと知ってからだ。


例えば昔よく行った駄菓子屋とか、ボウリング場とか、定食屋とかそういう場所。
何年も行ってなかったくせに、なくなると聞くと「最後に行こうか」と思ったり、「寂しくなるな」なんてぼやいたりする。

なくなる前に気付いたらまだいい方で、最近は知らぬ間になくなって新しい店が入っていることも、空き地や更地になっていることもよくある。

なくなる前に貢献しなかったくせに、なくなるとなると惜しむなんて現金だよなって思うんだけど。
何となく「自分の慣れ親しんだものだけは永遠(せめて半永久的)であってほしい」なんて願望から、勝手に安心しきっているからこうなるんだろう。



そんなことを思い出したのは、学生時代に親の顔よりも長時間眺めて入り浸っていたホームページサービスが、サービスを終了するときだった。

SNSほどのソーシャルさはなくて、あくまでほとんど内輪だけの交流。書き綴っていた内容も、今日の授業の時間割だとか部活の大会だとか遊んだ内容だとか、完全に内輪に向けた発信。


だから00年代から10年代にかけて、中学生から大学に入ってしばらく経つまでの私の、なんてことない毎日や友人とのやり取りがそこには鮮明に残っていて。

過去の文章を見てベタに気恥ずかしくなったけど、それでも確かに存在していて、感じていたことを思い出せる生々しい青春の感情たちだった。

「なのに、このままサービスが終了したらそのまま忘れてしまう」と思って、それがあまりに惜しくて、10代の気持ちをなかったことにしてしまいたくなくて。

あの頃の10代の言葉や気持ちの資料なんて、二度と取り戻せないし。サービスの完全終了までに、私は必死に全ページのアーカイブをひと通り残した。



そうなると、「サブでブログ機能を使っていたサービスもいつ終了するかわからないな」と、同じようにアーカイブを取ることにした。

そうしたら、そこにいた過去の自分から、とてつもなく優しい歌をプレゼントしてもらった。

こういう思わぬ過去の自分からのタイムカプセルが届いたりするから、やっぱり自分の記憶や感情や言葉を消そうとしなくてよかったなと思った。だから、またいつかの私のために、ここにも書いておくことにする。




サブで使っていたのは、今で言うTwitterのように、短文(と言っても長いときは1000文字以上を平気で書いていた)で綴っているミニブログだった。

大学の友人や先輩後輩とはSNSで繋がっていて、ミニブログは大学以外の知り合い、それも「まだ私がそのブログを更新している」と気付いている人にだけ向けてひっそりと書いていた程度だった。



大学に入ってからの私は、慣れない土地とひとり暮らしに参ってばかりで、しょっちゅう泣いていたし熱を出していたしメンタルがぐちゃっとなっていた。

キラキラした高校生活を書き残したブログと違って、正直読んでいて辛かった。
とはいえ働き出した今も、しょっちゅう泣きそうになっているし、熱は出さなくなったけどよく吐きそうになるし、メンタルはぐちゃっとなっている。

なので「結構参考になるなぁ」とか、「わかるよ、こういうのは今もすごくしんどい」なんてしみじみしていた時に、目に飛び込んできたフレーズがあった。



大学3年生の頃の呟きだった。
就職活動とか卒業論文とかモラトリアムからの卒業が差し迫ってきて、そのうえ「地方の学生」で「文系」で「女子」の私は、圧倒的に就活弱者だと自覚していて、資格を取得し長期のインターンにも行き成績もゼミで一番だったけど、それでも「だからそれが何になる保証があるんだ」と、毎日不安で泣きそうで吐きそうだった。

いまだってそうだ。例年ならとっくに落ち着いているはずの仕事がいつまでも落ち着かず、キャパを超えて働き続けなければならない繁忙期から半年以上解放されないものだから、夜が来るたび泣きそうで、朝になるたびに吐きそうになっている。



そんな私の目に留まったフレーズが「今日はもう早く寝よう。『ふわりのこと』を聴いて寝るんだ」だった。

人は10代の頃に聴いた曲を一生聴くというから、まあ学生時代に聴いていた曲なんてだいたい印象深く覚えている。そのはずなのに、タイトルに見覚えがあっても、メロディもフレーズも思い出せない。

気持ちがしんどい時に聴いていた曲なら、風邪の日のおかゆとかはちみつレモンみたいに、絶対にどんな時でも聴けるやさしい歌なはずで。なのに、それでも思い出せなかった。



けれどあの頃と違って、2010年代にさらに便利になったものはたくさんある。
Spotifyで曲を検索して、再生をかけて、イントロが流れ出した瞬間。一瞬であの頃の優しい夜に私はいた。


この情景はぜんぶぜんぶ、私の想像だけど。
春の終わりか、もうすぐ夏が来る梅雨あたりの穏やかな夜。たぶん雨上がり。暑くもなく寒くもなくて、草花がこれからすくすく育っていく季節。

小さな駅の近くで一緒に暮らし始めたふたりのうちのひとりが、もうひとりを駅まで迎えに行く途中。自分しか歩いていない小さな道で、柔らかい風を受けながらひそかに口ずさむような歌。


イントロが流れた瞬間に行ける、やさしい世界で流れる、そんなやさしい歌だ。

優しいのに切なくて、柔らかくてきらきらしている。たしかバンドメンバーたちが高校生だった頃に作られた曲だと聞いて、「確かにこのやさしくて柔らかな気持ちを大人になっても持ち続けるのって難しいよなぁ」なんて納得してしまった。

案の定、大人になってこんな優しい歌を忘れてた私は、目にじんわり涙を溜めながら聞き入っていた。



あの頃と同じで、気持ちがぐちゃっとなってばかりの日々が続く。
働いて、少しだけ食べて、寝て、また吐きそうになりながら働き続けて、何とか食べて、好きな人に少しだけ会って、また働く。透き通った光なんてまだ見えない。


でも、この曲を聴きながら夢見ていたはずの、いつか私も手に入れたいと願っていたはずの優しい世界を。どうやったら叶えられるんだろうと思うようになった。

仕事なんて、大人の世界なんて、苦しくてぐちゃっとしたもんだと思っていたけど。
叶えようとすれば、こんな世界でだって生きていけないかなぁ。
叶えようとしなければ絶対に叶わないとしても、叶えようとさえすれば。

この曲を口ずさむのが似合う優しい夜を、一緒にいてくれる人と歩きたい。
大それた夢じゃないけど、大人なんだし、これくらい叶えられないかな。

そう思って、あの頃の私からのプレゼントをまた開いて、約6分間また目を閉じている。

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