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遊びが大好き日本人!〜高千穂・夜神楽の町を歩く

前回の記事「阿波踊り」のことを書いていたら、やっぱり私たち日本人ってお祭りとか芸能とかが大好きで遊び人なんだなーと思いました。
世界的に日本人は真面目で勤勉と言われているけれど、実は相反した部分として、遊び好きの気質を持っていると思うのです。

それを最初に強く感じたのが、宮崎県高千穂町において「高千穂・夜神楽」を味わったとき。

高千穂といえば、知る人ぞ知る「神話の里」です。
熊本県との県境に位置し、「えっ?ここ宮崎県?海は?フェニックスはどこへ行ったの?」と、目を丸くするほど宮崎県らしくない(ごめんなさい!)山深い場所です。

それもそのはず。

明治初期に行政改革が行われる前まで、近隣の町や村と併せて「高千穂郷」と呼ばれていました。
しかも古くは熊本県の阿蘇まで含まれていて、阿蘇は「下千穂しもちほ」、高千穂は「上千穂かみちほ」と呼ばれていたそうです。

そんな高千穂に伝わっている「高千穂・夜神楽」の歴史は古く、平安時代から鎌倉時代に遡ると言われています。国の重要無形民族文化財にも指定され、今なお脈々と続いているのです。

一昨年、出版させていただいた「天岩戸神話を歩く〜高千穂から戸隠へ」という旅エッセイ本の中で、この夜神楽については絶対書きたい!と決意し、観光のための夜神楽ではない、人々の暮らしの中に根づく夜神楽を体験させてもらいました。

この時の心躍る実体験について、ここでは書ききれません。。。
それもそのはず、本の中では章として成立させているくらい濃い中身なんです。

めっちゃ端折っちゃいますが、とにかく高千穂の方々にとって「夜神楽」は、お正月よりも大切な「神様が宿る場所」の前で行うお祭りだということです。

高千穂ではお面のことを「おもてさま」と呼びます

古くは「七日七夜の御神楽ごじんらく」として行われていました。それが時代の流れとともに「三日三夜」となり、今では「一日一夜」と変わってきました。
しかし、今でも変わらないのは何よりも誇りを持ち、一年間かけて準備をしているということです。

会場となる「神楽宿」は普通の民家。
家を解放して会場を準備し、全てを円滑に進められるよう
一年かかりで整えます。

ちなみに第6章に「神楽の町を歩く」として綴っていますが、その一部を抜粋してお伝えしますね。

終わりは始まり
 ふと見ると、舞を終えたほしゃどんが自分の子供を抱いて、その輪に入っていた。世代を越えて継承されていくのに理由など必要としないことが分かった。ここで育つ子どもたちは、身体や心で神楽を感じて覚え、大人になる過程でそれが当たり前になっていく。
 夜神楽を見る前のことだ。以前ほしゃどんに尋ねたことだが、「神楽がなぜ継承されているのか」がどうしても気になって仕方なく、高藤さんにも質問してみた。
「みんなもワクワクするし、自分たちも楽しいっとよね、だから神楽が続くんじゃないの」とだけ言い、あとは困ってしまったようだ。

みやのゆきこ『天岩戸神話を歩く〜高千穂から戸隠へ』(新評論、2020年)

ほしゃどんとは、奉仕者のこと。舞手や楽器演奏者のことを呼びます。
ちなみに高千穂では「踊る」のではなく「舞う」と言います。なぜなら、踊りは見せるもので「舞」とは奉納するものだからです。

高藤さんというのは、高千穂町のガイドさんのこと。とにかく何でもご存じで、この方がいなかったら本は成立しませんでした。

そんな高藤さんの言葉。

ワクワク!
楽しい!!

それこそが「日本人が生まれ持った遊び好きの気質」なのだと痛感したのです。

朝になると子供たちも次から次へとやってきます

夏祭りはそろそろ終わりだけど、これからは秋祭りやら夜神楽もはじまります。

ワクワクしに行きましょう〜!!

最後になりますが、本の詳細はこちらです。
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