夢にまで見たサファリへ!②大地の終わりという「地平線」に震えがきたときのこと
前回ご説明したようにSafariという意味は、野生動物を観察することを指します。野生動物たちが、「どう生き抜き、子孫を残していくのか」という生物の永遠のテーマを見れることは、言うまでもありません。
まさにその臨場感あふれる生活が展開されているサファリ。
その大地は言葉を失うほど大きく、そして生きる希望に満ち溢れていました。
生まれて初めて見た地平線
その昔、私はダイビングもしていたし、最近はフェリーに乗る機会が多かったので、大海原を眺めては「うわー水平線って綺麗だなぁ」など唸っていました。
しかしながら、よくよく考えると水平線は見たことがあっても「地平線」を見たという記憶がありません。
それが関東地方がすっぽりと入るくらい大きい「セレンゲティ国立公園」を訪れたとき、平地の果ての果てまで見渡す機会に恵まれました。
平地の果ての果ては、一体どうなっていたのか?
見えうるかぎり大地が続き、そこには山も木も何モノも無く、その終わりは空との境目でした。
キリマンジャロのてっぺんという「宇宙に近い場所」に立ったとき、目に見える自分のカラダだけではなく、見えない精神みたいなもの全てが宇宙に溶けていくような感覚がありました。
極端に言うと、その感覚とは全く逆のものでした。
地球という惑星に自分という有機体が確かに実存していて、その事実があるからこそ、地球が銀河系の中に存在するとういう確信みたいなもの。
目線の遠くに広がる、大地と空との境目を見ながら、自分という存在が、銀河系の地球に、この瞬間確かに生きていることを確証したのです。
生きるエネルギー
震えがきました。
驚いたとか、怖いとか、感激したとか、そういうものではなく。
つい数日前におこった宇宙に溶けていきそうな感覚が、今まさに「生への執着」へと変わったからです。
人間は貪欲だと思いました。だからこそ生きていけるのだとも思いました。
アフリカの大地サファリ、その生きるエネルギーは、とてつもなく「でっかい」ものでした。
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