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「尊重しあえる地域づくりを能登から」能登DMC合同会社 友田景さん

25歳で大阪府柏原市の最年少議員に当選。
31歳から東京にある経営コンサルティング会社で働き、41歳からは石川県七尾市に拠点を移して、2021年11月には能登DMC(※)合同会社を立ち上る、という異色のキャリアをお持ちの友田さん。
そんな友田さんが環境問題やサステナブルを意識したきっかけは何だったのか?地域とサステナビリティの関係とは何か?お話しを伺いました。

(※)DMC:Destination Management Company:『地域の「稼ぐ力」を引き出すとともに地域への誇りと愛着を醸成する「観光地経営」の視点に立った観光地域づくりの舵取り役として、多様な関係者と協同しながら、明確なコンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するとともに、戦略を着実に実施するための調整機能を備えた法人』

JTB総合研究所より

メジャーリーガーの夢を諦めて気づいた、自分のアイデンティティのなさ

ー 異色のキャリアをお持ちの友田さんですが、これまでどういったご活動をしてきたのでしょうか?

僕はもともと野球少年で、当時メジャーリーガーを本気で目指し、甲子園出場校からスカウトされたくらい野球にのめりこんでいました。

少年時代の友田さん

 ところが中学2年生のときに腰を痛めてしまい、思いっきり野球ができない体になってしまいました。夢に見た野球人生が、突如として途絶えてしまったのです。
すっかり落ち込んでしまった僕は、「何のために生きるのか?」「何のために高校生をするのか?」と夢無しさんになり、中学生のときから、聖書・論語・宗教本や自己啓発本を読むようになって、かなり変わった中高校生生活を送っていました(苦笑)。
もう日本の高校に行っても意味がないと思い、アメリカへ留学することにしたのですが、世界各地から集まった同年代たちは、決まってみんな、自分のお国自慢を始めるんですよね。ところが、当時17歳の友田景にはそういうのがなかった。大阪人としてのアイデンティティはあっても、日本人や地元・柏原人としてのアイデンティティはない。そうした自分のアイデンティティのなさを感じたのが当時最大の疑問であり原点かなと思っています。

帰国後は日本の大学に入学したのですが、アメリカ当時の留学仲間が日本に遊びに来ることが度々ありました。「どこにいきたい?」と尋ねると、「豆腐料理が食べたい」や「お寺で座禅体験をしたい」など、日本の地域にしかないものを求めるんですよね。
そこから、”ローカリティ(地域性)”というものが、実は一番インターナショナルに通じるモノなのではないか、ローカリティを残さなければ、グローバル化が進むなかで日本は生きていけないのではないか、と考えるようになりました。
そうしてローカリティを守る仕事を、と考えたときに、当時は政治の世界に行きつき、25歳で柏原市の市議会議員になりました。そこから様々なご縁があって昨年11月、能登DMC合同会社を立ち上げる、というところへと至っています。

ー なるほど、ご自身のアイデンティを苦しみながら探す中で、世界へ飛び立ち、外から日本を見ることでローカリティの大切さを知ったのですね。

 はい、逆を言えば自分にないからこそ、その欠けたものが大切なのではと思いました。

ローカリティに必須な地域の自然資本

- 環境問題を意識したタイミングやきっかけはどこにあったのでしょうか?

能登DMC合同会社では、「旅を通じて能登の持続可能性を高める」ということをミッションに例えば朝3時から牡蠣漁を体験して、漁が終わったら漁師さんと一緒に朝ごはん(漁師飯)を食べるというツアーなどを提供しています。

牡蠣料理体験ツアーの様子

能登の里山里海は世界農業遺産に認定されており、観光も食も、能登にある仕事の多くは、その自然環境に支えられているビジネスがとても多いと感じています。
また能登の特徴は”半島”。その半島を生かして、尾崎半島(岩手県釜石市)・唐桑半島(宮城県気仙沼市)・能登半島(石川県七尾市)・大隅半島(鹿児島県錦江町)とで「半島同盟」を組み、その自然の素晴らしを伝えるイベントなどをやってきました。
半島には海があるだけでなく、里海・里山両方の豊かさがあり、そこで育まれた独特の文化やビジネスはとても尊く、色んな意味でポテンシャルがあるものだと感じています。

能登に関わってきたことで、地域の自然資本や自然環境の健全性がないと、ビジネスとしても生きていけないと思うようになり、環境問題や地域の自然を強く意識するようになりました。

能登半島からの景色

ー 友田さんは七尾市で事業承継も手掛けられていたんですよね?

七尾市は創業支援を頑張っているものの、毎年約70社ずつが倒産・廃業などにより減少しています。国のデータによると、毎年廃業している会社の28%が、経営状態は悪くないのにただ“後継者がいない”という理由で廃業しています。
そこで、『七尾市全体で後継者を募集しています!』という形で、事業承継者のコーディネーションなどに帆走し、最終的に七尾の友人共に事業承継に関する会社も立ち上げました。
この事業承継を進めることで、少しでも廃業者数に歯止めがかかり、ローカリティを守ることに繋がればと思っています。

大好きな人たちと尊重しあえる地域づくりを

ー 今後は、七尾でのご活動含めて環境問題や自然、地域とどのように向き合っていく予定でしょうか?

大都市や大企業がマジョリティであるとすれば、ローカルや中小企業、NPOなど、マイノリティに対して関わる時間を人生で増やしていきたいと思っています。さらにローカルでいえば、ローカリティ・働く人・資源、の三方良しを目指しています。地域でのビジネスは、地域の文化をどれだけ尊重できるかがとても重要なポイントであると考えており、常に本当に開発が必要なのかを問い続けています。
また、僕の価値観になりますが、仕事であっても人生であっても、「何をやりたいか?」ではなく、「誰と行動するのか(働くのか)」が大事だと思っています。例えば、ただゴミ拾いしましょう、だとしんどいときもあるかもしれないですけど、大好きな人とゴミ拾いをすると楽しかったりすると思います。
大好きな人と能登に来ていただき、能登ならではの時の流れに身を任せ、能登にしかないサステナブルを全身で感じてもらえればと思います。

取材を終えて


15才当時の友田景さんは、大阪人30%、日本人0%、柏原人0%というアイデンティティだったようですが、現在40代の友田景さんは、大阪人33.3%、日本人33.3%、柏原人33.3%と絶妙なバランスで自分らしいアイデンティティを持てるようになったと、少し目を細めて嬉しそうに話していたのが、印象的でした(七尾市は、ご自身のアイデンティティに加えるにはおこがましいと感じているらしく、ヨソモノの目線で地域に関わっていきたいとのことでした。)
日本人ならではのローカリティに注目するなかで、誰に言われるまでもなく培われてきた、ローカリティのなかにある”人と自然のサステナビリティ”に気づき、そしてそれを代々受け継いできた地域の中小企業を守っていく。友田さんは、地域において、まさに攻守要の存在としてこれからもご活躍されるのだろうなと、とてもわくわくしました。
能登DMC合同会社が手掛ける体験型ツアーはこちらから見れますので、ぜひチェックしてみてください。
https://noto-dmc.com/

 

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