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SDGsの起源と歴史的背景

 前回は地域における産業クラスター形成とイノベーションのエコシステムについて、マイケル・E・ポーター教授の研究や理論を基礎に、ぼくの考えを述べました。まとめると以下になります。

・ イノベーションのエコシステムは、地域の産業クラスター形成により実現してきた

・ 地域に集積する企業間のシナジーにより創出される経済価値(企業価値)の増大は、より多くの関連産業(川上川下や周辺の企業、関連団体)へと広がっていく

・ 世界的に、この活動の中心は、大企業や公共セクターから、起業家やスタートアップ企業、またそれを支援する投資家にシフトしている

 今回は国際政治やグローバル社会での産業政策の観点からとなります。
 地域とその中核になる都市の役割が重要になっている。そのことを前世紀にさかのぼって、歴史的背景から掘り下げてみたいと思います。今回も固いテーマではありますが、この数年で持続可能性やSDGsという言葉が日常的に頻発されるようになった背景を理解する意味でも、参考になれば嬉しいです。

 国際的なレベルでの社会課題の共有と議論は、マサチューセッツ工科大学のデニス・メドウズ教授が中心になって、1972年に発表したローマクラブによる有名なレポート「成長の限界」から本格的に始まりました。

 このレポートが発表されてから昨年2022年でちょうど半世紀にあたります。振り返ってみるとこの発表からほぼ10年ごとにマイルストーンとなるような国際的な合意形成が図られてきていることがわかります。

 この前段として、60年代の吹き荒れた公民権運動や平和運動の流れと共に、地球規模での環境問題への関心が高まっていったことがあります。
 「成長の限界」のちょうど10年前の1962年に米国の生物学者であるレイチェル・カーソンが環境保護の源流ともいわれる『沈黙の春(Silent Spring)』を発表。その翌年にはやはり米国の数学者であり思想家でもあるバックミンスター・フラーが「宇宙船地球号」という考え方を発表しています。
 フラーは69年にこれを「宇宙船地球号操縦マニュアル(Operating manual for Spaceship EARTH)」にして出版、「富」の定義を「貨幣」ではなく「未来の世代に用意できる日数」と定義しました。
 また、地球温暖化による気候変動の危機を主張し続けてきたイギリス人でNASAの研究者だったジェームズ・ラブロックが「ガイア論」を発表したのも60年代の初期です。

 ローマクラブのレポートの10年後には、国連のフルブラント委員会から「持続可能な開発」という現代のSDGsにつながるコンセプトが発表されます。フルブラント委員会は委員長を務めた、後にノルウェー首相となるフルブラント女史の名前をとって名付けられたのですが、この委員会設置は日本の発案でした(1982年開催の国連ナイロビ会議で、「21世紀における地球環境の理想の模索と、その実現に向けた戦略策定を任務とする」の設置を提案)。

 1982年というと、日本が2回の石油ショックを乗り越え、省エネ先進国として産業構造の高付加価値化に邁進していた頃です。世界でも最高水準のエネルギー消費効率を達成し、戦後の奇跡といわれた経済復興による世界の注目をさらに集めていました。
 イギリスのサッチャー首相がこの年の9月に来日して地方の工場を視察しています。サッチャーは日本企業のトップに技術者が多いことに注目しました(イギリスは財務会計のトップがほとんどだった)。自動化され無人化・省人化された工場ラインを見学して「確かにイギリスには日本から学ぶことがある」というコメントを残しています。

 その10年後の1992年にはリオ・サミットで環境と開発に関するリオ宣言採択、アジェンダ21採択、森林に関する原則採択、気候変動枠組み条約署名(条約は地球サミット直前に採択)、生物多様性条約署名(条約は地球サミット直前に採択)されました。

 さらに10年後の2002年のヨハネスブルグ・サミットでは行動計画にあたる「持続可能な開発に関する世界首脳会議実施計画(JPOI)」が採択、2012年には国連持続可能な開発会議(リオ+20)がリオデジャネイロで開催「SDGs(持続可能な開発目標)」構想が打ち出されます。

 このように世界は20世紀の半ばから、10年ごとのマイルストーンを達成するように国際的な合意形成。具体的な目標や行動計画の策定、条約署名を着実に進めてきました。


環境保護と持続可能な社会に対する世界の動き

1962年 レイチェル・カーソンが環境保護の源流となる著書「沈黙の春」を発表
1963年 「宇宙船地球号」という考え方が提示(米バックミンスター・フラー)
1972年 ローマクラブ(1970年創始)がレポート「成長の限界」を発表
1982年 ナイロビ会議で日本が「21世紀における地球環境の理想の模索
     その実現に向けた戦略策定」組織の設置を提案(フルブラント委員会)
1987年   フルブラント委員会は報告書「地球の未来を守るために」
              で「持続可能な開発」のコンセプトを初めて打ち出す
1992年 リオ・サミットで「国連環境開発会議(地球サミット)」開催
       リオ宣言、関連条約が採択・締結
     「環境と開発に関するリオ宣言」
       「アジェンダ21(環境保護行動計画)」
    「気候変動枠組み条約」
               「生物多様性条約」等
2002年 ヨハネスブルグ・サミット「持続可能な開発に関する世界首脳会議」
     「持続可能な開発に関する世界首脳会議実施計画」が採択
2012年  国連持続可能な開発会議(リオ+20)がリオデジャネイロで開催
       「SDGs(持続可能な開発目標)」構想が打ち出される
2022年 ドイツ・エルウマ G7サミットに向け各都市連合Urban7が発足
                 市長宣言を発表 (久元神戸市長のが日本代表として参加)

 そして、ちょうど50年目にあたる今年(2022年)は6月にドイツ・エルウマでG7サミット、11月にはインドネシア・バリ島でG20サミットが開催されました。G20サミットは、共同宣言には至らず、先進国と新興国間の立場の違いが改めて浮き彫りになりました。一方で、複雑に絡みあう社会課題へ切り込む議論が多くみられました。資源効率性と循環経済を高めることが気候変動・生物多様性などへの負の影響に対処するために重要であるということは、特に大きく取り上げられました。来年開かれる広島でのG7サミットではさらにこうした複雑に絡み合う社会課題についての具体的な宣言や採択、行動計画が議論されることと思われます。

 もう一つの2022年の注目点は、国家を超えた都市の役割についてです。

 6月のG7サミットへの政策提言に向けて、昨年G7各国の都市連合によるUrban7(U7)が立ち上がりました。5月3日に開かれた第2回Urban7市長サミットにおいて2022年Urban7市長宣言を発表、日本からは指定都市市長会会長として久元神戸市長が出席しました。このUrban7からG7サミットへの提言は以下で見ることができます。

◆2022年 Urban7市長宣言

https://www.siteitosi.jp/conference/pdf/r04_05_25_01_shiryo/shiryo16-2.pdf

この提言のポイントとなる部分を原文とわたしなりに解釈した内容を、なるべくわかりやすい表現にして併記します。

原文
「21世紀に直面している重大な課題は、国家が単独で解決するにはあまりに複雑なものが多い。自治体は民主的リーダーシップという面で市民にもっとも近いレベルにあり、人々が生活し働く持続可能で豊かな場所を創り出す責任を負っている。」

筆者解釈:

国による中央主導型では21世紀の複雑系の社会課題解決はできない。課題に日々直面している市民のもっとも近い立場にあり、その責任を負っている自治体(行政)こそがリーダーシップを取るべきである。

原文:
「我々都市はイノベーションを促進し、統合的な都市開発を通じて持続可能な地球を創り出すための市民や市民社会、科学者、起業家の協働および積極的な参画を歓迎する。」

筆者解釈:

企業主体の大量生産・大量消費・大量廃棄による利益優先型の開発と、それを規制により牽制する国家という20世紀型モデルでは、もはや持続可能な地球環境の創出はできない。今後は都市間で連携し、市民と地域社会、科学者、起業家を巻き込んだ画期的なモデルを目指すべき。

原文:
「国の政策立案者は都市を政策およびプログラムの一部と捉えている。だが、都市が持つ公益のための変革をもたらす力を活用するには、世界政治システムが真のマルチレベル・ガバナンスへと進化しなければならない。そうしたシステムにおいては、都市は単に施策を実行に移す行政機関ではなく、国と対等な立場で政策プログラムを策定および決定する政治レベルの存在となる。都市間の国際協力あるいは都市による国際的意思決定メカニズムへの参画を意味する都市外交は、G7および世界に存在する多国間システムが掲げる目標の実現に関して大きな可能性を秘めている。」

筆者解釈:

国が政策を決めて、都市がそれを実行するというこれまでの関係性のままでは、必要な変革は実現できない。これからは都市が国と対等に政策を立案し決定する関係に変わっていくべきである。国家間のエゴのぶつかり合いによる不調和を超えて目標を実現していくために、国を超えた都市同士の協力や都市連合による国際的な合意形成への働きかけが大きな可能性を秘めている。


 前回は、ポーターの視点を通して国家の産業力を強化する上での都市の重要性を見てきました。ちょうどローマクラブのレポートから半世紀が過ぎる中で、持続可能な地球環境に向けた国家を超えた合意形成の試みが続けられる中で、都市の役割が注目されているかがわかります。

 指定都市市長会会長としてU7に参加した久元神戸市長は、全面的な賛同と共に以下を表明しています。


・新型コロナウイルス感染症対策においてもそうであったように、大都市は単に国の施策を実行に移すだけの行政機関であってはならない。
・大都市は、都市のリーダーとして、国と連携・協力しながらも、気候変動対策や生物多様性の保護、世代間不平等の撤廃など、持続可能な社会の実現に向け主体的に取り組んでいかなければならない。
・「2022年Urban7市長宣言」に全面的に賛同する。日本の大都市も、U7の一員として積極的に行動していきたい。

(指定都市市長会 活動報告https://www.siteitosi.jp/conference/others/r04_05_10_01.html

第2回Urban7市長サミットについて | 指定都市市長会
指定都市市長会は、指定都市20市の市長により構成され、新たな「大都市制度」の創設や「地方分権改革」の推進に取り組んでいます。

https://www.siteitosi.jp/conference/others/r04_05_10_01.html

 日本は150年前の明治維新の時に鎌倉時代から続いた地域分権型の社会体制から中央集権型の体制を選びました。これは、産業革命以降に封建型から中央集権型の社会体制に移行した欧米の列強国と伍していくために正しい選択であったと思います。一方で、150年たって、国際社会がそのモデルの限界を認め、地域分散型による国際協調という新たなモデルを模索しています。
 バブル崩壊以降、日本はひたすら東京一極集中による反対の動きをしてきました。サッチャーの1982年の来日時のコメントに象徴されるように、戦後の製造業による復興と経済成長は地方に次々と作られた工場による地域分散型でした。優秀な人材の集積と、生産性の向上が実は地方分散で当時の日本では起きていた。この点はまたいずれ掘り下げますが、競争力再生の鍵はやはりそこにあると考えます。

 今回は国際政治やグローバル社会での産業政策の観点から、国際社会における都市に求められる役割と責任が大きくなっていることを見てきました。次回は、企業経営のあり方や社会の関係性の変化についてです。20世紀型のモデルで中心となってきた企業が、ここまで述べてきた共有価値の創出と国際社会の構造的な変化を受けてどう変わろうとしているのか。よく聞かれるようになった「パーポス経営」の文脈などからこれを読み解いてみたいと思います。


神戸市 チーフ・エバンジェリスト 明石 昌也

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