【小説】人を感動させる薬(4)

(前回)人を感動させる薬(3)

そしていよいよ、エル氏の三作目が本屋に並んだ。

デビュー作、二作目と売り上げが少なかったことから、広告はほとんど打たれず、本屋での扱いも実に地味なものだった。

三作目の発売開始から3日くらい経って、ジェイ編集がやっぱり今回もダメかと思い始めていたころのことだった。

とある文芸評論誌で絶賛されたのをきっかけにSNSを中心に原因不明の不思議な感動をよぶ小説として口コミで話題となりはじめ、それに伴って徐々に売り上げも伸びていった。

本屋では売り切れが続出し、発売してひと月もたたないうちに増刷が決定した。

ジェイ編集は増刷のたびに博士の薬を混ぜたインクの缶を印刷工場にもっていき、印刷機の担当者に自分の持ち込んだインクでエル氏の本を印刷させることを徹底した。

おかげで売り上げはその後も順調に伸びていった。

印刷機の担当者は、増刷のたびにチップが増額されていくので、今ではジェイ編集の持参するインクで本を印刷することを快く承諾してくれている。

そして、エル氏の三作目は各地の書店でベストセラーとなり、あっという間に大ヒット作品となった。

ジェイ編集がエル氏の住むアパートに三作目の売り上げの報告に行くとエル氏は得意げに語った。

「ほらねジェイさん。

世間の連中はあなた以上に僕の才能をちゃんと理解しているみたいだ。

心配しなくたってちゃんと僕の本は売れているじゃないか。

今回は文芸評論誌だけじゃなくてネットでも大絶賛の嵐だ。

ほら、このバズり具合を見てごらんよ。

僕のアカウントのフォロワーだって今回の作品の発売前と比べると100倍くらいに増えたんだぜ。」

のんきに喜ぶエル氏の姿に、ジェイ編集は少なからずイラっとした。

ジェイ編集は、今回のヒットは全てエル氏の力ではなくてジェイ編集の影の努力のおかげなのだということをぶちまけてやりたかった。

そして、エル氏が実は出版社から見捨てられそうになっていたことや、エル氏の作品が売れているのは読者が本のインクにしみ込んだ『人を感動させる薬』のにおいをかいで無理やり感動させられているためであることや、何より増刷のたびに自分が印刷工場に足を運んではワイロと一緒に薬の入ったインクを差し入れているからであることを言ってやりたくて仕方がなかった。

しかし、ジェイ編集は喉まで出かかった言葉を無理やり押し殺して我慢することができた。

なぜなら、今は本が売れていることの方が重要だからだ。

エル氏ののんきさはたしかに鼻につくが、今の状況は何も悪くはない。

むしろ喜ばしい。

(つづく)

次回 人を感動させる薬(5)

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