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19YEARS #2-2 エンパスたち

一人暮らしには、なかなか慣れなかった。半身で泳ぐ魚のように、苦しく痛く、生きているだけで消耗していく。消耗しながら、新しい皮膚をも再生してゆく。

庭木の剪定は、例年、私がやっていた。なので1人になってもなんら問題なくできるはずだった。けれど作業を始めてすぐ、それはまったくの見当違いだったことに気づく。

まず「剪定を始めるよ宣言」を聞いてくれる人がいない。
腕が疲れて「休憩したい」と叫んでも、麦茶を入れてくれる人がいない。
「枝ゴミどうやって出すんだっけ」速攻調べてくれる人もいない。

ぜんぜん1人でできてなかった。
それは細かすぎて、人に話すほどでもない発見だけど、自分の中のデータは、確実に書き換わってゆく。

日々、小さなデータ更新を繰り返すことで、少しずつ、残りの半身を取り戻していった。


私自身まだ気づかない痛みに、気づいてくれる人というのは、存在する。

歌手のHちゃんはあるとき突然、大きなぬいぐるみを抱えてやってきた。

「私ね、寂しさが波みたいにやって来るときがあって、ぬいぐるみを抱きしめて泣くの。結構これで治るんだよ」

一緒に来てくれたHちゃんの旦那さんは、美味しい飲み物とご馳走をたくさん抱えていた。そしてうちのキッチンに立って、美味しいものを次々テーブルに並べてくれるのだった。

Hちゃん夫妻は、思いつく限りの幸せを、ぜんぶ持って来てくれたんだと思った。

しゅわしゅわするグラスを片手に、美味しいチーズや初めて味わう高級なハムや珍しい野菜のサラダを少しずつ食べて笑って、思い出を話して泣いて、夢を見ているみたいな特別な時間だった。悲しみは消えはしないけれど、悲しいね、会いたいよね、って言って泣いてくれるHちゃんを見ていると、不思議な暖かい力が体に湧いて来るのだった。


1人になって初めて迎える誕生日のことは、考えないようにしていた。何事もなく普通に過ごそうと思っていた。けれど、自分でも気づかない、おそらく確実に襲って来るであろう誕生日の夜の寂しさを、先に気づいてくれた人たちがいた。

ごはん屋のSちゃん、服作家のUちゃん、絵描きのJちゃん、たちが、当日やって来た。大好物のモンブランがホールになっているバースデイケーキを見たとき、どんなチャレンジをしてこれを手に入れてくれたかがわかった。それはその店の評判のケーキで、持ち帰りのできないはずのものだったから。

共感体質(エンパス)という性質を持つ人たち。
他人の感情に共感しすぎるために、苦しむことも多いエンパス。
エンパス度テストっていうのが載ってる本や、サイトなんかで、一緒にテストすると、私の周りにいる人たちはかなり高い確率で、該当する。
まだ本人も気づいていない痛みまで先回りしてしまうくらい心優しいエンパス友達に、いつか自分からも愛を返せるようになりたいと思った。

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