はじめましての物語
はじめまして、あこです。
東京に住んでいて、両親ともに生まれも育ちも東京の江戸っ子です。
20代で結婚、30代で出産、40代で離婚を経験し、ワンオペで丸10年。
離婚前に起業したので、事業主としては10年超になります。
キャリアもコネもカネもない、フツーの専業主婦から成り上がり、気づけばコンサルタント、セミナー講師としてあちこち飛び回っていました。
都道府県レベルの自治体からお仕事をもらったり、市区町村の商工会、商工会議所に呼んでいただいたり。業種を問わずさまざまな規模のクライアントさんがおりました。
政治家の方との懇談会に呼んでいただいたり、有名な企業の経営者も集まるような経営者会に参加させていただいたり。ママ起業家としてNHKに出演したこともあります。
と、こう書くと順風満帆(離婚はしたけどね…)な人生、に聞こえるでしょうか?(離婚のくだりは居酒屋で3時間もらえれば、エイヒレをアテに日本酒を飲みながらお話しします。需要があれば笑)
いいえ。決して順風満帆ではなく、あれやこれや紆余曲折がありつつ、お堀の白鳥の如く、優雅に見えて水面下では脚をバタバタとさせていた10年でした。
ヒィヒィゼーゼー言いながら、なんとか突っ走ってきたわけですが、ある日突然予期しない3大事件が起きたのです。そう突然に…
【事件その1】更年期障害で体調を崩す
子どもの頃から、健康優良児。体が丈夫で、体力には自信ある。
ショートスリーパーだから寝ないでも大丈夫!と豪語し、健康だけが取り柄です!という体育会系な生き方をしてきました。
ところが、40代も半ばを過ぎた頃、少しずつ体に異変が。
病気ではない、いわゆる未病の状態が続きました。
研修講師の依頼があり、企業側の会議室で打ち合わせをしていた時のこと。
吹き出す汗が止まらなくなりました。季節は秋。その部屋が暑かったわけでもないのに。
ホットフラッシュという症状で、更年期障害でした。
他にも、何日も怠さが続く、やる気がわかない、めまいが起きる、頭痛薬が手放せなくなる、家に帰ると疲れ果てて夕飯も作れない…
なんとか依頼された仕事はこなしていましたが、家事もままならず、家での事務作業が滞るように。
このままではマズイと仕事をセーブして病院に行き、徐々に症状も緩和され、また上手く付き合っていく術も身につけました。
【事件その2】コロナ禍で仕事がない!
皆さまご存知、未知のウィルスが地球規模で襲いかかってきた2019年。
翌年からの大混乱は、まだ記憶に新しいと思います。
わたしの事業も、御多分に洩れずいろいろな影響を受けました。
緊急事態宣言の発出、世の中はステイホーム。
人と会うのが仕事みたいなもんでしたから、予定していた仕事も次々にキャンセル。
仕事は激減。依頼はパタリとこなくなりました…
一馬力でやっていたし、雇われではないので、稼働しなければ一円にもなりません。労働集約型ビジネスの限界も感じました。
それまでも、オンラインで受け付けてはきたけど、クライアントさん側にその環境がなかったり、安全面から敬遠されたり。
大手企業のテレワーク推進が一気に進んだことで、中小企業、小規模事業者もオンライン環境が整備され、ようやく徐々に仕事が戻ってきたのが2022年。
しかしその年の夏。第3の事件が起こるのです。
【事件その3】生死を彷徨い身体障害者になる
もー、これはびっくりです。
ほんとびっくりです(あまりの衝撃に2度言う)
想定外も想定外。自分の人生にこんなことが起きるなんて。
夕方、帰宅ラッシュで混雑する電車から降りようとしたら、まともに歩けなくなってました。
ほんの1ミリも前兆がないまま。
倒れる15分前まで普通に仕事をしていて、元気そのものでした。
そのままホームでバタン
身体が動かない、喋れない状態になり救急車で病院へ。
到着直後意識を失い、生死を彷徨いました。
次に目覚めた時には、右半身がまったく動かず、やはり喋れず。
脳卒中(脳出血)による右半身麻痺
でした。
ちなみに、倒れたのが40代最後の一週間…。
病院のベッドで意識がはっきりしないまま50歳を迎えました。
7ヶ月半の入院生活を経て退院したものの、後遺症が残り身体障害者に。
身体の麻痺に加えて、高次脳機能障害という後遺症も。
呂律が回らないし、思考がまとまらなかったり、言いたいことをうまく言葉で表現できず。即時性の求められる「会話」は今も苦手です。
わたしの仕事は人と会うこと。そしてしゃべってナンボなのに。
仕事道具だったパソコンですが、今は左手一本でキーボード打っているので、恐ろしく時間がかかるのです。
あれから2年。
リハビリを続け麻痺は少しずつ改善しつつありますが、未だリハビリの日々を送っています。
脳卒中に関するnoteも書いてます
倒れた時の詳細やリハビリ生活など
↓↓↓
雇われない生き方
倒れた当初、高校生だった子ども2人は、大学生と高3(受験生)に。
教育費もさることながら、自分のリハビリにもお金がかかります。
どんどん貯金も目減りする中、障害者の自分に何ができるのか。
街中を見渡すといろいろな仕事をしている人たちがいますが、わたしにはできる仕事の方が少ないんだなぁ…と思います。
右手脚が不自由なので、飲食店でのアルバイトも、ショップ店員も無理だし、接客業は厳しい。利き手が使えず字が書けなかったり、電話対応ができなかったりだと事務職も限られます。
もう一つのネックは年齢。運よく働けそうな仕事があっても、自分が応募して採用される確率はかなり低いでしょう。
障害者雇用という手段もありますが、その前に自分でできることはないか。
10年以上やってきたので、ビジネスをすることの大変さや厳しさは、嫌というほど味わってきました。
それでも、もう一度「雇われない働き方」に挑戦しようと、病に倒れてから2年、身体は戻りませんが、ようやくそう思えるまでになりました。
七転び八起き、最後に笑えれば
起業して以来、「雇われない生き方」をしてきました。
まあ、こう書くとかっこよく見えますが、もともとわたしの場合しがない個人事業主のおひとりさまビジネスでした。
クライアントワークって結局は労働集約型ビジネスで、一馬力だと限界が来ます。若い時ならば多少の無理は効くけど、売上を維持するにはずっと走り続けなければなりません。
わたしも寝ないで働いてました。
走り続けた結果、突然倒れ生死の境を彷徨い、障害者に。
でも「このままで終われない」という思いもあります。
あの時、せっかく死の淵から生き返ったんだし、余生と呼ぶにはまだ若い笑
これまでもいろんなハードルを乗り越えて、七転び八起き。
七回転んでも、八回目に立ち上がればいいじゃないか。
最後に笑えれば。
最後に…
これまでの経験や知識を活かしつつ、さらに新しい情報を勉強しインプットすることも怠らず、初心に戻ってこれからも生きていこうと思います。
ただしこれまでの教訓も忘れずに(←ここ大事)
倒れて以来、たくさんの人に心配と迷惑をかけましたから。
(家族には特に。ほんとごめん)
ここまで長々と読んでいただき、ありがとうございました。
長いんだよ!という声が聞こえてきそうですが(自分でもそう思います笑)、なぜここまでわたしという人間について書いたかというと、人生後半戦、同じ志を持ち一緒に笑える仲間がいたら最高じゃないか!と思ったからです。
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