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障害者として「自らの選択肢を増やす」という挑戦

こんにちは、あこです。

2022年夏、突然脳出血で倒れ障害者に。右手足の半身麻痺と高次脳機能障害という障害があります。療養とリハビリのため長らく休業していましたが、ぼちぼちリスタート。

自己紹介代わりに書いた「はじめましての物語」はこちら↓

今回は創業するまでのお話と、”想い”について書きました。
いつも応援ありがとうございます。


背中を見せられる大人になりたい

今から15年以上前、子どもがまだ幼稚園児だった頃。
専業主婦だったわたしは、「何者でもない自分」という存在をなんとなく持て余していました。

○○くんのお母さん、○○ちゃんママ、○○さんの奥さん…
子どもや夫の存在ありきの”自分”という存在。

今と違い、育休明けに時短勤務を勝ち取るのに、前例がないと言われ悪戦苦闘するような時代だったので、結婚や妊娠を機に退職する人も多く、周りも専業主婦が少なくない時代でした。

もちろん、子育ては命を育む尊いお仕事。
今でも子どもが小さい頃のことを思い出すと、ああ本当に尊い時間だったなと思うし、そんな時間を過ごさせてもらえて感謝です。

ただ、ある時ふと思ったんです。
「大きくなったら何になりたい?」
何気なく子どもにしたしつもん。

「ママは何になりたい?」
もし子どもに聞かれたら答えられるだろうか?

自分がイキイキと夢を語れないのに、子どもには夢を語ってほしいなんて…
なんか違うよなぁと。

子どもたちに夢を聞く前に、大人がイキイキと夢を語ろう!
昔と違って選択肢が多い分、逆に夢を語るのが難しい時代。
でも、夢を語る大人が一人でも増えれば変わるはず。

背中を見せられる大人になりたい!
そんな思いに駆られ、最初の事業をスタートするに至ります。

金もコネもキャリアもない。あるのは情熱とパソコンだけ…

何かやらなきゃ!と、とりあえずスクールに通い、資格を取る前からブログ(アメブロ)×SNS(mixi)で発信していました。

最近はオンラインゲームのプラットフォームとして再注目を浴びているmixiですが、当時は日本最大の会員制SNSとして利用者が多くいたのです。

加えて育児掲示板も活用し、おかげで開業当初から、集客は割とスムーズにいきました。普通は資格を取得して開業し、準備万端でスタートしても、いざフタを開けてみたらお客さんがいない…という話はよく聞きます。

最初から見込み客(ファン)がいる状態で、商品サービスを提供した方がビジネスが上手くいくに決まってる。当時まだマーケティングのマの字も知らないど素人の主婦でしたが、その辺は鼻がきくと言いましょうか…笑

ネットにさほど精通していたわけではありませんが、実は2004年に息子が生まれてからすぐ、毎日育児ブログを書いていたことがありました。

当時はまだブログなんて言葉もなく、「楽天広場」というサービスでしたが、web上に日記を書くことで、日常では絶対に出会えないような遠方のママ友が国内だけでなく海外にもできました。

インターネットってすごいな!!!
この時の経験は、その後の活動にとても大きな影響を与えました。

webマーケティングの世界へ

キャリアもなければ、誇れる経験もない状態でしたが、”ママであること”が最大の武器となる。それを体現したくて、子育て関係の資格が取得できる事業を興しました。

自分の子育てもありながら、仲間と一般社団法人を立ち上げオリジナル教材を作り、リアルな講習以外にスカイプを利用したオンライン講習、DVDの通信講座と寝る間も惜しんで活動しました。

集客はやはりインターネットを活用し、北は北海道から南は沖縄までたくさんの受講生が学んでくれました。

また大きな子育てイベントのプロデューサーを経験したり、そのご縁でNHKにも出演させてもらったり。たくさんの経験をさせてもらいました。

事業を動かしていく中で、マーケティングを学び、学びを実践に。
ひたすら寝ないでPDCAを回す日々。

次第にwebマーケを教えてほしいという人が増え、事業をシフトしていきました。それが11年前、2013年のことです。

選択肢を増やすという挑戦

思えば2011年、最初の事業を興した時も「雇われない働き方」という選択肢を増やすことで「働くこと」を実現したかったのだと思います。
自分で自分の職場を作った。そんな感じです。

当時わたしは、幼い2人の子どもを抱えた普通の専業主婦でした。

子どもが小さいから
キャリアがないから
経験がないから
お金がないから
時間がないから

できない理由を挙げたらキリがない。
言い訳はしたくないし、ならばどうしたらできるか?を考える。

昔から、そういう生き方をしてきました。

でも今から2年目の夏、脳卒中という予期せぬ病気で倒れ、半身麻痺や高次脳機能障害という後遺症を負い、さすがに「もう無理かも…」と心折れそうに。

普通に歩くとか、字を書くとか、電話で話すとか、当たり前にできていたことができなくなりました。もちろん今、パソコンのキーボードも左手1本で打っています。

まだ毎日リハビリを続けているし、身体も頭(脳)も万全ではありませんが、いつまでも立ち止まっていては何も変わらない。

これまで女性だったり、母親だったり、また年齢だったりで生きづらさ働きづらさを感じている人にも、そういったことをハンデに感じない生き方があるというモデルケースになりたいと思っていました。

そこに新たに「障害者」が加わったとしても、わたしの想いは変わりません。

偏見や差別がこれまでの比ではないことは、この2年間でたくさん味わってきました。健常者の時には見えなかった大きな壁を感じます。

女性であることや母親であることよりも、障害者はさらに人口比率が低く、圧倒的少数=マイノリティだからです。(全人口の7.4%)

それでもわたしは負けない。
誰にって、もちろん自分に。

これからは、障害者でも「雇用されない生き方」という選択肢を増やしていければいいなと思います。


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