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作業訓練(手のリハビリ)の最終目標は〜50歳脳卒中で絶賛入院中〜

2022年7月6日49歳の時に脳卒中で倒れ、1週間後めでたく50歳に。
倒れた日の顛末はこちら↓

リハビリの目標

前回、理学療法(脚のリハビリ)の最終目標について「もう一度ヒールを履いて歩く」と書いたが、作業療法(手のリハビリ)の最終目標について書こうと思う。

実は回復期リハビリテーション病棟に移動してきてすぐ、担当医の先生にリハビリの目標を聞かれた。急性期から移動してきたのが8月中旬。すでに倒れてから1ヶ月以上が経っていたとはいえ、まだまだ麻痺の程度は重く、正直「目標」と言われてもピンとこなかった。

もちろん元通りの生活が送れるようになることを目指していたが、この病院にいる間に一体どこまでの回復が見込めるのか全く見当がつかない。先生にも全く見当がつかない旨伝えつつも、一応その時の目標には、脚は「補助具なしで歩けるようになる」手は「パソコンを使用できるようになる、文字を書けるようになる」とした。

入院当初の手の状態は

入院当初は、右脚同様に右手も全く感覚がなかった。身体からダランと垂れ下がった右腕の重さに右肩が耐えられず、亜脱臼した状態に。まったく力が入らないと手ってこんなに重いもんなんだ!と驚いた。

車椅子に乗る時に右手を乗せ忘れて「右手乗せないと車輪に挟むよ!」と看護師さんに注意されたことは数知れず。手を洗う時は自分の左手で右手を持ち上げ洗面台に載せ、左手で洗ってあげないといけなかった。

手を洗うたびに全く動かない、何も感じない右手に不思議な気持ちになったものだ。自分の手なんだけど自分の手じゃないような。まあこればっかりは、どんなに説明してもなってみないとわからない感覚だと思うし、人によっても違うと思うけど。

インプットされる感覚

「とにかくたくさん刺激を与えてあげましょう。」
急性期病棟にいた頃療法士さんによく言われていたが、その頃はまだこの病気のことがよくわかっていなかったので、その言葉の意味するところもわからなかった。

それでも毎日根気よく、感覚のないわたしの手や脚を触ったり摩ったりしてくれた。そして全く自分の意思では動かすことのできない手脚を一生懸命動かしてくれた。

脳卒中でダメージを受けた脳はもう一度元に戻ることはないので、新しく回路を構築する必要がある。新しく構築するにはたくさんの情報(刺激)が必要で、運動麻痺なら動きだし、感覚麻痺なら触覚などの感覚になる。ただベッドに寝ているだけでは新しい回路構築のための学習はできないのだ。

「刺激を入れる」こと、しかもできるだけ早いうちからリハビリを始めることが回復には重要なのである。

手や腕の回復は脳から近い部分から

「手を使えるようにする」というと指先での作業を想像する人が多いと思う。だからわたしも「パソコンを使えるようになる、文字を書けるようになる」という目標を立てたわけだが、もちろん他にも「ハサミを使う」「箸で食べる」「歯を磨く」「髪の毛をとかす」など手を使った細かい作業はいくらでもある。

しかし指のリハビリだけで、それらの作業を行えるわけではない。指は指として独立した動きをしているのではなく、腕の先に指があるのだ。肩→上腕→前腕→指の順に回復していくので、指先の回復には時間がかかると言われている。

リハビリ病棟に移った時最初に担当してくれた作業療法士さんには、1年くらいかかるかもしれないが、仕事は大丈夫ですか?と聞かれた。リハビリの期限は180日間(約半年)もある。もうそれならいっそのこと左利きにしちゃったほうがラクじゃない?!と言ったら、それはダメです!!!と強く反対された。

利き手交換は最後の手段

わたしは右利きで右手が麻痺で動かなくなったので、かなり不便だ。
文字を書く機会が減ったとは言え、入院中ですら何度もサインを求められたし、提出する書類は手書きでの記入だ。

病棟内ではわたしが字を書けないのはわかっているので、代筆してくれるが、病院の窓口で診断書などの書類を申し込むと依頼書への記入を求められる。そのたびに右手に麻痺があることを伝え、代筆してもらうのはかなり苦痛だ。

退院後、同じような説明をいろんな場面で幾度となく求められるだろうと思うと気が滅入る。それでも利き手交換は最後の手段。これだけ動くようになってきた右手を諦めちゃうのはもったいないし、まだまだ良くなる。どんどん使っていかないと本当に動かなくなってしまうと言うのだ。

確かに右手にできて、左手だけにできないことはない。だからつい動く手を使ってしまいがちだ。逆に左が麻痺していたら、こんなに必死に使わなかったかもしれない。

半年経って今できること

倒れてから半年が過ぎ、右手でできることも増えてきた。「できる」と言うと語弊があるかもしれない。半ば無理やり右手を使っているので、正直まだ左手の方がはるかに上手だし早い。

両手でやっていることも含むと
・箸で食べる
・洗濯物を畳む
・塗り絵を塗る
・歯を磨く
・顔を洗う
・髪体を洗う
・髪を乾かす
・顔体を拭く
・服を着る
などなど。できるだけ右手も参加させるようにしている。
意識的に使わないと左手ばっかりになってしまうので。
文字は指を固定する装具を作ってもらい、毎日練習しているがやはりなかなか難しい。

手のリハビリの目標は決めるのが難しい

手の場合、行う作業が多岐にわたるのでこれができるようになりたい!と一つに決めるのは難しい。その人の生活環境によって必要な作業は全く異なる。

「パソコンを使えるようにする」「文字を書けるようにする」といった当初の目標はもちろんだけど、化粧もできないと困るし、料理といった家事もだ。たぶん実生活に戻った時にそう言った場面にいちいち遭遇するのだろう。

また「箸を使えるようにする」「文字を書けるようにする」「パソコンを使えるようにする」と、「箸をちゃんと正しく自然に使えるようにする」「文字をキレイにスピーディに書けるようにする」「パソコンを仕事で使いこなせるようにする」には大きな隔たりがあるのをお分かりいただけるだろうか。

ただ単に「箸を使えるようにする」「文字を書けるようにする」「パソコンを使えるようにする」だったら、今も「なんとかできる」レベルでやっている。
箸は、例えば焼き魚を切り分けることができないし、細かいおかずはつまめない。文字も1文字書くのにめちゃくちゃ時間がかかる上に、ようやく読めるレベルの字だし、パソコンは圧倒的に左手入力で右手は目視しながら指一本でキーボードを押すのもやっとだ。

そんなことくらいできなくても…って思うかもしれないけど、実際に自分がそうなった時を想像してみてほしい。きっと困るはず…

3歳児を育てている

脳血管疾患による麻痺で手足が動かなくなった場合、完全に元通りの機能を取り戻すことはできない。動くのは元に戻ったのではなく、動きや感覚を新たに学習した脳の他の部位が代替しているだけなので、病気になる前と全く同じではない。

わたしの場合、感覚を司どる視床の血管が破け、神経がダメージを負ったので、動きもだが感覚の麻痺が強い。その部分がどこまで他で代替できるのか、どのくらいかかるのかもわからない。

とにかく地道に動きや感覚を入力していき、覚え込ませるしかないので、右手、右足だけ3歳児を育てているような気分だ。

最終目標は…

手のリハビリの最終目標は、「パソコンを使用できるようになる」「文字を書けるようになる」に加えて、「箸を使えるようになる」この3つを挙げておこうと思う。
多分この3つが難なくできるようになったら、他のこともできるようになっているはず。

まだまだ指先の動きは悪いし、握力も左の半分しかないし、道のりは長く困難だけど、何年かかっても右手をもう一度使えるようにするよ。50年間(正確には49年と358日)わたしの利き手として頑張ってきたんだもの。
がんばれ右手!!!フレーフレー右手!!!

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