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小学校の読み聞かせで「子どもに感想は聞かない」のはなぜなのか?

「終わった後、子どもたちに感想は求めず、すっと退場してください。」

6年間携わった「おはなし会」の活動は、月に1~2回程度、朝の10分間小学校へ行き、本を読むというボランティアだ。最初に市の図書館で読み聞かせ講習会があり、その時にこの説明を受けた。

10分という限られた時間の中で本を読み終え、すみやかに教室を退出しなくてはいけないし、こっちの感想を押し付けるのはなんか違うものね、と
その時は思ってた。

でもこの言葉の意味を本当に理解できたのは、数年経った後だった。

私は教員や司書の教育は受けていない、ただの「元・本好きな小学生」だ。
だから私は、私の立場で体験し、感じたことを書いていこうと思う。

そう。「しばらく???と思って」、いた。
なんかひっかかるけど、まぁ決まりだしね、って。

クラスによっては、本を読んだ後に担任の先生が「はい、感想がある人~?」とか「今日の日直さんは感想をお願いします。」と子どもたちに促すことがある。

「今日は感想を聞いてくれる先生で、子どもたちの感想を聞けてうれしかったです!」

「読み終えた後 ”これ、意味わかった?これは○○ってことだったんだよね” って言ったら、気がついてない子達が多かったみたいで”へ~っ!”て言ってました。」

集合場所の図書室へ戻ってきたおはなし会メンバーも、感想を聞けるとうれしそうに報告してくれる。
活動四年目には、私はおはなし会の運営代表になっていた。

朝の忙しい時間、ほぼ全員が、仕事を持つ母親で構成されたボランティア活動。事前に課題本を取りに来て、家で何度も練習をし、仕事の前に、もしくはその日は休みを取るなど、忙しい中スケジュールを調整して参加している。
そのようなメンバー達、もちろん私にとっても、感想をもらえることはとても嬉しいご褒美のようなものだ。

こちらから感想は求めていないんだけど…でも感想聞けるとうれしいよね。
ただ、【感想は聞かずにすっと退出する】って習っているから、ちょっと居心地悪くて…。これで良かったのかしら?

そうメンバーに質問された私自身も、先生がせっかく子どもたちに聞いてくれるのを、わざわざ遮るほどのことじゃないし…いいんじゃないですかね?と答えていた。

その頃、私はちゃんとわかっていなかったんだと思う。
「感想を聞かない」ことが大事なのではなくて
「感想を言わせることで、感じることを侵害しない」
ということが大事だったんだ。


先生が最後に子どもたちに感想を聞くのも、私達ボランティアへのねぎらいの気持ち、気を使ってのことだったと思う。

朝の10分の読み聞かせの時間は、子ども達が主役。
声音を使い分けたドラマティックな表現を、お母さんが「子どもに褒めて」もらう場では、ない。
読み聞かせの活動と、母子の家庭での読み聞かせとは、選ぶ本や注意することなど、違う点は多い。
(このあたりはまたそのうち書きたい)

大勢の子を対象として読んだ時、読み終わった後の受け取り方の違いは、
顔を見るとまざまざと分かる。興味のある子もない子も居るのは当然だ。

先生が、誰か感想言いたい人?と聞いた時、(自分を指してくれないかなぁ~)と期待のこもった、でもちょっと恥ずかしそうな顔でチラチラみている子、頬を紅潮させておはなしに没頭していた子が、はっと現実に引き戻されて指されないように慌てて下を向く様子、一生懸命聞いていたけど、ずっと表情こわばってるな…と思ってたら、その子は「今日感想を言う係の日直さん」だった!とか。

本を読み、説明を受け、感想を言う。
人と話し合ったり、読書感想文を提出するのは、学校生活の中で必要な「本との付き合い方」だ。
自分以外の視点を知ること、見落としていた要素を、人とのやり取りの中で発見すること、理論建てたアウトプットは、訓練の中で身につけていく。

だからこそ、先生が子どもたちに感想を求めるのは、むしろ当然の流れだと思う。学校は教育の場だから。

でも、母親である私達がボランティアで伝える、おはなし会の目的はそうじゃない。

「今日は日直だからちゃんと感想言わなくちゃ!」

その子は、おはなしを聞いている10分間のあいだ、どんな感想を言えばいいのかをずっと一生懸命考えていたことだろう。

その子は、おはなしを心から楽しめていたのだろうか。

人はみんな「誰にも邪魔されない自分だけの安全な世界」が必要だ。

・この主人公は馬鹿だよねぇ。
・女の子がAに向かったのは、Bを○○する目的だと、
 後から考えたら分かるよね?
・~の時点で、あなただったらどうしたら良かったかな?
・○○してたら死なずに済んだのにね。
・私は登場人物の中で、○○が一番悪いと思うな。

湧いてきた自分の感情は「そうじゃなかった」のに、先に誰かの感想を聞いてしまったら?私が感じたことは「違う」んだ、間違ってるんだ、歓迎されないのだと、もし、思ってしまったら?

親や先生が、横から感情をかっさらっていって、評価や正解の感想を表明する環境では「誰にも邪魔されない自分だけの世界」の構築は、難しいだろう。

湧き上がる自然な感情を、誰かの「正解」や「見解」で否定されて、
自分が安全で尊重されていると、感じることはできるのだろうか?

子どもが言葉を話すからと言って、複雑な感情を言葉で伝えることは難しいだろう(それは大人だって難しいことだ)。
子どもが黙っているからといって、何も感じていないわけではない。

「感じる」ことを、本人以外の誰かが肩代わりすることはできない。

だからおはなし会では、子どもに感想は聞かない。
何を思っても感じてもいい。
誰にも邪魔されない、その子だけの時間が必要だ。

おはなしは、こどもの心にボールのようにポーンと放り込まれる。

私達は、なるべくたくさんの、色とりどりのボールを投げこんでいく。

そのボールをどうするのかは、
完全にその子の自由なのだ。



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