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遠足弁当の憂鬱

娘の保育園で遠足があった。この状況下で思い出を作ろうと準備してくれた園には感謝しかない。しかし…「持ち物:弁当」この言葉が、私たちを憂鬱にさせた。その正体について真面目に考えてみた。

はっきり言って大袈裟だと思う。ツッコミどころ満載だと思う。
だって毎日お弁当を作っている人は世の中にごまんといる。私たちの場合は1年にたった1回。
しかも幼児の弁当。おにぎりと唐揚げとブロッコリーとプチトマトに卵焼き…それらを小さなお弁当箱に詰めれば出来上がるだろう。
なにも豪華なお重をつくれと言われてるのではない。それなのに。
このプレッシャーの正体は一体?

遠足実施が発表されたときのママ友界隈の会話。

「本当にありがたいね、先生たちには感謝だよ。
 子供達楽しみにしてるよね」
「ほんとほんと!…でも。。。」
「うん。。お弁当…だよね…」
「私は去年会社休んだよ」
「生理休暇ならぬ弁当休暇!!爆」
「毎日朝早く起きてお弁当作ってるお母さんてさ、
 本当に本当に本当にすごいよね…でも私は…」


この私たちを襲うプレッシャーって、本当に何なんだろう。仲のいいママ友だけではなく、たまたま帰り際で一緒になったママさんとも弁当の話になり、がんばりましょう!なんて励まし合った。

異常に見えるかもしれない。でもこの憂鬱は紛れもなく私の周りで多発した事実。
共働きファミリー向けの食サポート事業を開発中の私は、その正体について真面目に考えてみた。


1.我が子からのプレッシャー

うちの子は、「ママ、こんなお弁当つくってね」と工作で理想の弁当を表現してくれた。他のお子さんも絵に描いたり、あれ入れてね!など約束していたらしい。
この子供たちの発言、行動、めちゃくちゃ可愛い。でも…期待に応えられる自信がない。。
遠足先でウキウキした気持ちで娘が弁当箱を開けた時「ママ、全然ちがう!」って、なるんではないか。。そんな心配しすぎかもしれないけど1年に1回だから、作り慣れてないし子供からの評価に慣れてないからこその妄想が私たちを憂鬱にさせる

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2.記憶からのプレッシャー

娘の周りにそんなこと言う子なんていないかもしれないけど。「●●ちゃんのお弁当へん!」とか言われちゃったらどうしよう。そのときの娘の気持ちは?
そんな余計な心配まで頭を渦巻く。自分は子供の頃、茶色いおかずばかりの弁当だった日は隠して食べた記憶がある。男子に指摘されて、恥ずかしさとまるで作ってくれた母を馬鹿にされたような悔しさで、泣いたこともあった。(毎日茶色弁当ではなく、たまたまその日がそうだっただけだが、鮮明に覚えている)
悪気がなくてもそういう発言をしてしまうのが子供。人並みの弁当を作ってあげなくては。可哀想な思いはさせたくない。これは他のママも共通の思いのようであった。

せっかくの遠足は、少しの嫌な記憶もなく楽しんでもらいたい。その意気込みと自分のスキルのギャップが、私たちを憂鬱な気分にさせる。


3.ママ友の弁当スキルの未知数さ

ん??会社を休む?それってそれくらい気合を入れてキャラ弁とか作っちゃうってこと?!?!あの有名人のブログに出てくるようなやつ?!
えっ!無理無理無理!!!できない!!キャラものの飾りで賑やかしするから許して。。
家で遊ぶときも手料理を振る舞う、持参するなんて文化が皆無の我々は、友の料理スキルを意外に知らない。だからこそ膨らむ妄想と焦り。

朝起きてボサボサ頭でレッドブルを流し込み、小さい弁当箱に具材を詰める。「これでいいかな、大丈夫かな…」不安な気持ちで袋に包み、娘に持たせる、正味30-40分の出来事。
どっと疲れる。その日の仕事に力が回らなそうなほどに。
普段の家事は人と比べる機会もないし、うちはうち、よそはよそ、と割り切ってるから「頑張ってちゃんと料理しよう!掃除しよう!」なんて気持ちからはとっくに卒業している。

でも。お弁当はどうしても横並びになってしまう恐怖。私はよくある具材を黙々と弁当箱に詰めた。

朝からレッドブルを飲むのは勝負プレゼンの日くらいだよなぁ…


上記3つの結論は、「弁当を作ること」そのものが憂鬱なのではなく、その行為を取り巻く妄想とプレッシャーの存在が私たちを憂鬱にさせる、ということである。
実際、昔自分向けに弁当を作っていた頃は、ここまでの心理的なプレッシャーはなく、「憂鬱」ではなく単なる「面倒」だった。



そして、、、
子供たちは遠足から帰ってきた。

うちの娘の弁当評価。

娘「ピカチュウのお弁当箱うれしかったー!」
私「お、おう。(弁当"箱"!!笑)
  じゃ洗うから出して」
娘「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!見ないでぇぇぇ!」
私「早く洗わないと臭くなるし、だしな。」

パカッ。2割ほど残し。
私としては及第点!ほっ!


私「よく食べたじゃん!えらいえらい!」
娘「えっ?!う、うん…(照)」

正直言って、8割くらい残されるかと思い、
それでも弁当儀式が終わっただけで安堵の私は娘を叱るつもりなんてなかった。
でも娘は娘なりに「作ってくれたのにちょっと残しちゃった」と私に対して悪いと思ってくれてたのだろう。
食べ物を残してこんなこと言うのも甘すぎかもしれませんが、私の弁当を8割食べてくれただけで母は嬉しいです。。


そして。
保育園はアプリで当日の写真が公開されるのだけど、そこで映し出された衝撃の事実。
みんなの弁当があまりにフツウ!!!笑 
キャラ弁の人は皆無で、中身はお馴染みの具材。飾りで賑やかした子供弁当。

みんな憂鬱な気持ちとプレッシャーを抱えながらも、決して背伸びすることなくできることをやったということか…

アプリには、こんな先生のコメントが添えられていた。
「みんなおうちで作ってもらったお弁当を見せ合いながら嬉しそうに食べていました。」

今年もなんとか乗り切った!!

保育園の遠足弁当は、子供達の思い出の単なる脇役だ。
でも、その脇役は「子供たちに素敵な思い出をつくってほしいから、一点の曇りもあってはならない。」というプレッシャーと各親たちが戦った証である。


弁当を作った親たちとビールで乾杯したい気分になった夜。


毎日弁当をつくるベテランさんからしたら、なんて大袈裟で余計な心配しすぎで馬鹿馬鹿しいエピソードだと思うかもしれない。
でも、これが私の周りで起こった紛れもない事実である。

子供が小学校に上がって長期連休を迎えるときは弁当必須との噂を聞く。どうにかそれまでに、ビジネスでこの課題を解決できないか?とすら思う。本気で料理が苦手すぎる私である。

料理が苦手過ぎる私が日々の料理を捨てたエピソードはこちら。


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