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コースでは肉体(身体)、世界、時間をどのように捉えていくのか?


否定の中でもとりわけ無価値な形の否定

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、一元論のスピリチュアリティであることは言うまでもありません。

その中心的な概念が、「この世界は幻想である」というものです。

それが何を意味するのか?というなら、この肉体(身体)も、この世界も、実在しないということです。

ただし、私たちが知っておかなければならないのは、この肉体やこの世界を否定していくことがコースの実践でしていくことではないということです。

コースでは、そうすることは、”否定の中でもとりわけ無価値な形の否定”であると教えてくれています。


肉体は単に、この物理的世界におけるあなたの経験の一部であるにすぎない。その能力については過大評価され得るし、実際にしばしばそうされている。しかし、この世界においてはその存在を否定することはほとんど不可能である。そうする者たちは、否定の中でもとりわけ無価値な形の否定に携わっていることになる。(T-2.IV.3:8-11)

奇跡講座/中央アート出版社


肉体(身体)やこの世界を否定していくやり方は、歴史上の従来の一元論(非二元)のスピリチュアリティ(霊性の道)に見受けることができます。

コース学習者の私たちがしていく実践は、肉体(身体)やこの世界を否定していくような実践ではないということです。

そう、それこそが、コースというスピリチュアリティの特徴的なところであり、優れたところだと言うことができます。

コースという一元論のスピリチュアリティの道を歩んでいく者であるなら、そのことはもっとも知っておかなければならないことだといえましょう。


肉体(身体)、世界、時間について

では、コース学習者である私たちは、この肉体(身体)をどのように捉えていくのか?

というなら、この肉体(身体)を学習手段として使っていく、ということです。

そもそも肉体(身体)は自我の象徴として作り出されたものであるわけですが、その肉体(身体)をこれまでとはちがう目的で使っていくということです。

それは、この世界、についても同じです。

何度も申しますが、この肉体(身体)やこの世界を「幻想だ」として否定していくわけではないということです。

コースの実践においては、むしろ、この肉体(身体)やこの世界を使って実践していくのだということです。

ようするに、自我の目的ではなく、聖霊の目的としていくならば、この肉体(身体)は「学習手段」として、そしてこの世界は「教室」となっていくということです。

さらには、「時間」についても、同じようにコースでは捉えていきます。

そもそも「時間」というものも実在しない(幻想な)わけですが、この世界(時間と空間)を信じている私たちにとっては、この学びにはプロセスがあるということです。

要は、「時間はない」ということを学んでいくために、その「時間」を使っていくのだということです。


自我の目的で見るのか?聖霊の目的で見るのか?

私たちコース学習者に求められているのは、

それは何のためなのか?

という目的の選択なのだと言うことができす。

つまり、

この肉体(身体)、この世界、この人生の時間をこれまでの目的で使っていくのか?それとも、これまでとはまったく異なる目的で使っていくのか?

ということであり、

その目的を方向転換していくことが、私たちに求められていることだということです。

ようするに、

自我の目的で見るのか?
聖霊の目的で見るのか?

このコースの実践は、その選択をしていく訓練だということです。

つまりは、この肉体(身体)も、この世界も、時間(人生)もまったくの無意味、無価値ではあるものの、その目的を変えるとき、それらがたった一つの目的のための意味あるものとなるということです。

要約するならば、

この世界の中にいるかぎり、この肉体(身体)は学んでいくために重要な「学習手段」なのだということです。

この世界の中にいるかぎり、この世界は赦しを修得していくためのレッスンの場、つまり、「教室」なのだということです。

時間についていえば、ときに、「人生は暇つぶしみたいなもの」というふうに言っているノンデュアリストのスピーカーさんもおられたりしますが、コースではそうは捉えません。

この世界の中にいる私たちにとって、時間は目覚めていくための「プロセス」なのだということです。

ようするに、この歩みは一瞬で成し遂げられるようなものではないということです。

この時間の中においては、目覚めていくにはプロセスを要するということです。

それはコースというスピリチュアリティにかぎったことではありません。

非二元の霊性の道を歩む者にとっては地道な訓練を要するということです。

この世界の夢から目覚めようとしているコース学習者であるなら、自分はそういう道を歩んでいるのだということを肝に銘じて歩んでいきましょう。


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