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コースの教えをまったく受け入れようとはしない自分を自覚/認識しなさい


この世界をありのままに見る

この世界についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)ではどのように述べられているか?

というなら、

コースはあらゆる言葉を使って、この世界はまともじゃない、狂気の世界である、というふうに述べています。

とくに、コースがこの世界について述べている中で、ワプニック博士がもっとも引用している分かりやすい箇所があります。


”飢えと渇きに苦しむ生き物たちが死ぬためにやってくる乾いた埃っぽい世界” (W-pⅡ.13.5:1)

奇跡講座/中央アート出版社

それと、もう一箇所あります。

あなたが見ている世界は、罪悪感により狂ってしまった者たちによる妄想的体系である。この世界をよく見なさい。そうすればその通りだとわかるだろう。(T-13.In.2:2-3)

奇跡講座/中央アート出版社


その他にも「戦場」「悪夢」「地獄」「賭殺場」などの言葉を使って、この世界とはどういうところなのか?について、コースは私たちに教えてくれているといえます。

ようするに、コースのイエスは、私たちにそのことを認識させようとしているわけです。

ところが、コースを学んでいる私たちといったら、どうでしょう?

私たちは本当にコースでイエスが述べていることを素直に受け入れて、この世界をそのように見ようとしているでしょうか?

自分の内側に正直になるならば、コースが教えていることなどさらさら信じていないどころか、信じる気がない、ということが自覚されるはずです。

むしろ、コースで述べられていることよりも、コースのイエスが述べている言葉よりも、自分の考えのほうを思いっきり信じているといえます。

この世界には自分を満たしてくれるものがあるはず、この世界には自分を幸せにしてくれるものがあるはず、何かがあるはず、希望があるはず、、、と思っている(信じている)のが自覚できます。

それがどういうことなのか?と言いますと、私たちはコースが教えていることなんてまるで信じちゃいないということです。笑

つまりは、それが私たちが自我(の思考体系)と同一化してしまっている証拠だといえましょう。

私たちは、毎瞬毎瞬、自我を教師としているということです。

その自分は、この世界は現実であり、この世界には意味があり、価値があると信じていたいわけです。

その自分こそが自我であり、本当は実在していないわけですが、コース学習者の私たちはそのことを認識していくことが求められているのです。

むしろ、そのことを認識することなしに、どうやって私たちは自我から脱却して、この世界の夢から解放されて自由になることができるというのでしょう?

コースのイエスは、「この世界をありのままに見なさい」と云います。

ありのままに見るとは、コースが教えている通りに見る、ということです。

ならば、

イエスはこの世界についてどのように見ているのか?

ということについて学ぶ必要があるということです。

私たちはその正しい見方(知覚)を修得するためにコースを学んでいるのだということを知っておきましょう。

とはいえ、

コースを学ぶとはそういうものであるにもかかわらず、コース学習者の私たちは何をしているか?

というならば、

コースの教えの都合のいいところは信じます、参考にします、取り入れます、、、でも、自分にとって都合の悪いところは信じません、、、

ということをやっています。

それは、つまるところ、

コースのイエスよりも、自分のほうが幸せになる方法を知っている、、、

コースの教えよりも、自分の考えのほうが、自分の見方のほうが正しい、、、

と宣言しているようなものだということです。

(だとしたなら、そもそもがコースをわざわざ学ぶ必要がないというものです、笑)

それが自我であり、私たちはその自我と同一化しているしまっているということです。

その自我から脱却していくためにも、自我(の思考体系)について学び、そして理解し尽くす必要があるわけです。

なぜなら、その自我を正視していく、そして訂正して(取り消して)いく必要があるからです。


そして学びが終わるのは、愛ではないすべてのものをあなたが認識したときである。それらが妨げであり、取り消されなければならないものである。(T-18.Ⅸ.12:3-4)

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この世界の夢から目覚めていくために

コース学習者の私たちはこの世界から自由になっていくために、もっといえば、この世界の夢から目覚めていくためにコースを学んでいるわけです。

であるにもかかわらず、私たちはこの世界をどう捉えているか?というなら、この世界(この夢)はまんざらでもないと思っています。

この世界が悪夢、狂気の世界、死の世界、地獄、戦場、、、というふうにはまったく思ってなどいません。

その無智さ、愚かさ、狂気さ、それこそがすべての苦しみの原因なのだということを、私たちはまったく認識していないのです。

だからこそ、イエスはコースを通して、この世界についての真実を教えてくれているといえます。

「私(イエス/聖霊)と一緒に見てごらんなさい!」と。

コースのイエスは、この世界についての真実(事実)が認識できるようになるために、コースを通して私たちを導いてくれているわけです。

もし本当にコースのイエスの言葉を真に受け止めているならば、この世界の夢を見続ける(幻想を信じ続ける)ことがいかに愚かなことをし続けているか!を悟る(知る)ことでしょう。

そして、ありのままに見るならば、それがハッキリと認識されることでしょう。

ありのままに見るとは、コースの思考体系、つまり、聖霊の思考体系から見るということです。

そこからこの世界を、そして自我(の思考体系)を見ることをしていくとき、私たちはますます自我(の思考体系)からの脱却を意志するようになります。

そのようにして正気(正しい心)を取り戻していくことになります。

つまり、自我の思考体系を、そして、自我の思考体系が作り出したこの世界の夢を、ありのままに見ていく(正視していく)ことによって正気の思考体系へのシフトがはじまるのであり、そして、それを完全に成し遂げることがコース学習者の私たちが目指しているものだということです。

ようするに、このコースは、正気(正しい心)の視点からこの世界を見ている知覚(真の知覚)を完全に修得(マスター)することを目的としているということです。

そう、そのために私たちはコースを学んでいるということを肝に銘じておきましょう。


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