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いまここにただ在る
すべての考えを赦す、すべての考えを愛す
すべてが考え(想念)である。
内側にあるものだけでなく、外側に見えているもの、そのすべてが考え(想念)である。
しかも、それらのすべての考え(想念)はいまここにある。
外側の世界に見えているのはその考え(想念)を投影しているだけである。
そのことを真に理解するとき、自分はすべてとつながった一つ(ワンネス)なのだと悟ることになります。
投影が知覚を作り出す。(T-21.In.1:1)
想念がもたらす結果は、決してその源から分離していない。(T-19.Ⅰ,7:6)
想念はその源を離れないので、その結果は想念から離れているように見えるだけである。(T-26.Ⅶ.4:7)
外に投影されて、心の外にあるように見えるものは、決して外側にあるのではなく、内側にあるものの結果であり、その源を離れてはいない。(T-26
.Ⅶ.4:9)
そこにある風景、世界。
見えているものすべて。
聞こえる音。
香り。
味覚。
身体で感じる感覚。
ハートの感覚。
頭の中を駆け巡るイメージと考え(思考/想念)。
そのすべてを赦していく、愛していくとき、
いまここにただ在る、、、それが実感できます。
そのすべてが「一なるものとしてつながっている一体性」(T-25.Ⅰ.7:1)として経験することができます。
そのすべてが自分であり、愛すべきものであるからこそ、ただ愛する。
ただ赦す。
そのとき、ただ在る(Being)、ということをただ知ることができます。
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