醜形恐怖で引きこもる事を覚えた私が、脱却して美容部員になるまで

「積極的で明るい子」
昔から通信簿にも書かれ、自分でもそれが本来の
性格だと今でも思っている。

そんな私がそうではない自分を過ごしたのは2年程前の事。

■ある日突然「ブス」の呪いと出会う


上京して3年後の梅雨、身辺の環境が変わり仕事が変わった。都内某所のバーだった。
何回目かの出勤で、30代ぐらいの客からある言葉を掛けられる。

「ブスだなぁ」「採用したの誰だよ」

相手はお酒が入っていたものの、血の気が引いた。
確かにあの頃の私は今より格段に芋娘だった事は事実。

それまでの人生、ふざけて「ブス」と言われる事も、仲良い友達とふざけて貶し合いをする事も並にあった。その時は特にこんな思いにはならなかったのに、何故この時にこんなに心が殴られたのかは上手く説明が出来ない。

でも、自尊心や自己肯定感を高く育てて貰えた私には自尊心を削る殺傷能力の高い言葉に言い返す余地など全く無く、笑顔で笑い飛ばすしか出来なかった。

このnoteを見てくださる方の中にも「それくらいで…」と思う方も居るかもしれないが、相手を傷つける言葉は相手の中では消化など一生されない。
むしろ言われた側は蓄積され嫌でも覚えているものなのです。

私はその日をきっかけに「ブス」と言われた言葉と、空間と、恐怖心の何もかもを忘れる事は出来なかった。

■身内と連絡が取れなくなった

それでも仕事は日々続いていく。
「今日はブスと言われなければいいな」
「今日は傷つかないといいな」気づけば毎日それしか考えていなかった、本当に異常な程に。

深く刷り込まれた「ブス」の呪いはここからが過酷で、この辺りから自分が変わっていった。

[変わった事]

・外出先で本当は崩れてないメイクを崩れてると認識し、何も手につかなくなりとにかく即座に家に帰る。

・常に着圧ソックスや着圧キャミソールを着用していないと不安で外出ができなかった。不安で何個も買い込んだ。

・常に鏡と友達。数分おきに自分の顔を確認するけど、美容室とか服屋の人に見られる鏡で自分を見るのは物凄い恐怖だった。

・不安が限界に達し、不眠症になる。

・円形脱毛症の発症。(大きさは500円玉ぐらい)

・外出して自分が纏う服やメイク極限に醜く見えて、その場で服やメイクを買い換える事が数え切れなかった。

・極端に食べない日と極端に食べ過ぎる日があり、最終的に下剤に頼る→下剤の作用で浮腫む→着圧が手放せないの負のループ。

・顔を晒すのが恐怖で久しぶりに会う人に会えなくなった。

軽く思い出しただけでも、こんな感じだった。
下剤は怖くて1ヶ月程で早々に辞めることが出来た。
何より辛かったのは、顔を晒すことに恐怖を感じて親とも友達とも連絡を取れなくなり連絡ツールをシャットアウトした事。

家に引きこもるようになり、身内がかけてくれる
電話も不在着信にして、連絡も取らず。
1人娘の私は両親に相当な心配をかけた。
そんな自分自身を「最低だ」と思う事が、更に引きこもりとコンプレックスに拍車を掛けていった。

擦り減る心と反比例するように、虚しい理由で増えたメイク道具と服。

SNSでは前向きな発信をしていたから、誰ひとりとして私がこんな状況になっている事を知らないし、私もまたこんな自分を恥と思い隠していた。

■ネットで出会った"醜形恐怖"という言葉

もう本当にこの頃はマトモでは無かったから、
「明日私が死んでも誰も困らないし仕方ない。」
自ら願望を起こすような事は決してなかったけれど、本気でそう思って引きこもっていた。今思い返しても、引きこもっていた時期にどう過ごしていたか正直詳しく覚えていない。それもまた怖い。

そんなある日Twitterである言葉を見つけた。
それが醜形恐怖という言葉だった。すぐに調べると
これまでの自分の行動が当てはまることを知った。

[醜形恐怖症とは]

醜形恐怖症の人は、実際には欠点はまったくないか、ささいなものであるにもかかわらず、自分の外見には大きな欠点があると信じ込んでいます。外見にとらわれるあまり、特定の行動(鏡で自分の姿を確認する、過剰に身づくろいをする、自分と他者を比べるなど)を繰り返し行います。 -MSDマニュアル サイト引用

[醜形恐怖症の診断基準]

・他者から見るとささいなことに思える外見上の欠点、または他者の目に触れることのない外見上の欠点にとらわれている
・外見にとらわれるあまり、何かを繰り返し行ったり考えたりする(鏡で自分の姿を確認する、過剰に身づくろいをする、自分と他者を比べるなど)
・欠点と思い込んでいる外見の部分にとらわれるあまり、強い苦痛を感じているか、日常生活に(職場、家庭内、または友人関係で)支障をきたしている
-MSDマニュアル サイト引用


サイトだけ見て自己診断で自分を"病気"と決めつけるのに抵抗があった。でもどのサイトを全て見ても、
自分が当てはまる事ばかりで自覚するしかない。

正直、その頃の私は醜いと思う感情に追い回されて疲れていた。本来明るく前向きな私が何処で自分をダメにしてしまったのか、その理由に"醜形恐怖"という名前があった事に心なしかホッとした。

■引きこもりを終わらせてくれた親友の存在

私には大切な専門学校時代の同期であり親友がいる。一時期は毎日一緒に居たりバイト先も一緒で、
私の実家に遊びに来た事もあった。もはや家族。

その親友からの連絡も引きこもるようになってから一切返さず疎遠になっていた。

「少し話そう」と、何回もの不在着信履歴のあとにそんなメッセージが来ていた。現状の自分だったら絶対に行かない。行かないというより、行けない。行こうと思っても向かう途中で心が折れて帰ってしまいそうな自分が想像できたから。

ーただ、この日だけは違った。

お洒落を心から楽しんでいた頃とのギャップにも、
醜いと思いながら引きこもる事にも、誰かからの言葉のナイフに傷ついたまま生きてくのにも、それを
1人で抱える事にも、多分相当限界が来ていた。

会ったら少し変われるかもしれない、変わりたいのかもしれない、突然そう思えた。

「私もずっと話したかった、会おう。」即返信し、ホームだった三軒茶屋で集合した。

        ◇ ◇ ◇

「とりあえず本当に生きててよかった」

親友は会うなりすぐにそう言った。私は何かの糸が切れるようにポロポロと涙が止まらなかった。親友が第一声に言ったその言葉が優しくて衝撃的で今でも鮮明に覚えている。

そこからは会っていなかった時間が嘘のように、
前みたいにコンビニのお酒片手に道端の椅子で沢山話した。向こうから私が何で連絡を取らなくなったかは詳しく聞いてこなかった。というより聞かないでいてくれた。度々、「生きててよかった」と口にして自分の事のようにポロポロと泣く親友。私もまたそんな親友を目の前にメイクが落ちるぐらい泣いた。

もちろん鏡で顔は見たし案の定メイクなんてボロボロだったけど、そんなのどうでも良くなるぐらい会えた事が嬉しくて、もしかしたら変われるかもと思った。

今でもその日にボロボロのメイクのまま撮った
写真は私の中でも本当に大切な写真。

思い返すと、この日から徐々に"ブスの呪い"は
ゆっくり解けていっていた。このタイミングで
家族とも連絡が取れるようになっていく。

■面白く戦ってやろうと決意した仕事

途中から記述していなかったけど、醜形恐怖と
出会う事になった仕事は辞めていなかった。
引きこもっていたけど、"なんとなく漂うように"仕事はフラッと行っていた。
恐らく一般的には原因の場所からは離れるのが吉だとは思う。でも、仕事仲間はとても素敵な人たち。自分が成長するまでは辞められないと思っていた。

親友との再会のおかげで段々と昔の自分の前向きさが戻ってきていた頃、私は仕事で今の自分を活かせる方法を考えていた。

"何言われても返せる自分になろう"
"絶対に笑わせてやろう"

ブスと言ってきた相手にブスと返すことは簡単だし
ある種スッキリするのかもしれない。
でも私がして来た経験を、私の言葉で誰かがそうなってしまうのはどんな相手でも嫌だった。

その日から私は、何かを振り切った鋼鉄メンタル女になって(こうなるまでもひと苦労)バンバン人に話しかけて積極的に物事に触れていくようになっていた。少し怯む自分も居たけど、本来の自分を取り戻しつつあった。

個人的にはこれが大成功。最終的には、冒頭で出て来た「ブスだな」と言って来た客に「噛めば噛むほど、知れば知るほど楽しいと思えるスルメ女子だね」という多分褒めてくれてるが、褒め言葉かは絶妙に微妙な言葉を言われた。「元はと言えばあんたの一言で…!」とも言いたいが、地に落ちた精神状態から這い上がって来た私は大勝利と言わんばかりの"大ドヤ顔"をした。いや、してやった。

■手元に溢れかえったメイク道具が変えてくれた未来

この頃から、今まで隠すためにしていたメイク魅せるためのメイクに変えるため研究が趣味になっていた。今までは修正ペンのように使っていたメイク道具が次第に自分を活かすツールになっていく過程が楽しくて仕方なかった。

次第に周囲に言われるようになった言葉が
「垢抜けたね」「綺麗になったね」だった。

嬉しくてたまらなかった。
本当に嬉しかった。なにより、周りより自分が一番自分が垢抜けた事を知っていたから。物凄く時間が掛かったけれど、メイクと行動で自己肯定感も高められた頃にはもう引きこもってた自分は居なくなっていた。

自分が自分を取り戻したのはキッカケを作ってくれた親友と、自信をつけてくれたメイクにある。

醜形恐怖がきっかけで山のように手元に溢れたメイク道具。私はそれを見て"やりたい事"を見つけた。

■私の経験を誰かの勇気に繋げたい。人にメイクをしたい。

思い立ったらすぐ行動、どんな経験でも絶対糧にするがモットーで生きてきた私。身につけたメイクの技術とコスメ愛で誰かの勇気の一歩になりたかった。

求人を探してすぐに応募したのは、
とあるコスメブランドの美容部員。
現状の仕事は辞めず、美容部員とバーの仕事、
もうひとつしていた仕事のトリプルワークが始まった。

美容部員の基本的な仕事は勿論コスメを売る事。
そしてタッチアップ(試し)たいお客様にメイクをする事、これが何より一番したい事だった。

私の配属先は新宿。都内で最も人が集まる店舗だった。

■辞めた今でも忘れられないお客様

今でも記憶に残っている、美容部員時代の忘れられないお客様が居る。

仕事にも慣れてきた頃、1人の女性のお客様が恐る恐る入店。私はお声掛けをし、色んな話をした。

「デパコスで色々調べたけどよく分からなくて。メイクしたいけどどうすれば似合うかわからなくて、この前友達にメイク変だよって言われちゃって。」恥ずかしそうにそう言った。

デパートにコスメを求めに来る多くの人はデパコスを調べる事も、お店に来る事もワクワクする事だと思う。けれど彼女が不安そうな顔をしているのは「変だよ」と言われたからだと察し、強烈に以前の自分と重なって心臓がズキズキした。

「変って言うなら"変じゃない"メイクを見せるか教えるかしなさいよ!そんなのやりもしない癖に自分の言葉に責任持たず人を傷つけて何なの!?」とお客様の代わりに心の中でキレておいた。

「もしお時間宜しければ是非メイクをさせて下さい。」と、すっぴんで来ていた彼女をタッチアップ台に案内した。ドラマみたいな展開と思いつつ、
何かのきっかけになれば良いと願いながらメイクをした。

メイクが一通り終わると、嬉しそうに鏡を見つめて
「このアイラインどうやって引きましたか!」
「このアイシャドウの色似合わないと思ってたけどこんなに自然なんですか!」と、関心を持ってくれた。もはや私も嬉しくて泣きそうだった。

「初めて自分の意思でコスメを買いたいと思いました。本当に今日接客してもらえてよかったです。」そう言った彼女は、タッチアップをした綺麗な薄いイエローのアイシャドウパレットを購入してくれた。

「またメイクで悩んだ時とか、たまたま近くに遊びに来られた時も、気負わずおうち感覚で遊びに来て下さいね。」と私が言うと、笑顔で帰って行った。

その後も遊びに来てくれて仕事が決まった話をしてくれたり、流行メイクの話をしたり、恋愛の話をしてくれたりした。その度に、身に纏ったイエローのアイシャドウがキラキラしていた事は今でも忘れられない。

醜形恐怖で引きこもっていた私を陽の当たる場所に
連れ出してくれたメイク。メイクを武器にして
今度は悩んでる方を救いたい、勇気に繋げたい。

その思いが初めて目に見えて叶ったのだから、私の人生とても幸せである。

現在は紆余曲折あり美容部員を卒業。長く続けていたバーも卒業し、都内のオフィスで働いている。

■ここまで読んでくれた皆様に

初note執筆で至らぬ所も多かったかもしれませんが長い文を最後まで読んで頂き、有難うございます。

私は現在、オフィスで働きながらInstagramで
趣味でコスメレビューをしたり、イメコンの勉強、コスメコンシェルジュの資格取得に向けて日本化粧品検定の1級合格を目指して勉強しています。
ふざける事もお酒も大好き。

自分を立ち直して以降、素敵な周りの人たちに囲まれ、バー時代の仲間とも連絡を取り合ったり、新しい仲間たちにも出会ってとても幸せです。コロナ前には毎月のように実家にも帰る事ができるようになっていき、今も毎日のように親にふざけた電話をしています。

自信を持って声を大にして言えるのは、
純粋に美容が大好きという事。そこで培った力で
誰かの力になりたいという事。

ただ、醜形恐怖がほぼ完治した今でも
鏡を見る頻度はかなり高いし、醜形恐怖時代の写真を見返すのには多少の勇気が必須。たまに、また円形脱毛する夢を見て焦って起きたりもします。

私はこれからも、コンプレックスと向き合う人たちの勇気になりたいし、私自身を上げるためにもコスメレビューやメイク発信を続けていきたい。

Instagramでレビューや美容発信をしていると、
美容部員時代のお客様のように不安やコンプレックスを強く抱えながらも見に来てくれて、自分の思いをメッセージ送信してくれる方も居ます。
Instagramでは長文ストーリーは即右タップしたり、大体フィード投稿には文章見ずに写真だけ見てイイね!を押すのが主流な気がします。なのでしっかり文章を載せて有益な情報を発信していきたくなり、noteでの執筆を始めました。

言葉には魂が宿る"言霊"なんて言葉がありますが、
あれはあながち間違っていないと思っています。
冒頭でも話したように、相手を傷つける言葉は相手の中では消化など一生されない。むしろ言われた側は蓄積され嫌でも覚えているものなのです。
人によっては呪縛のように、強迫観念になる。

きっと自分は最高と思える自分が最高で最強なはず。
こんなご時世だからこそ、個が個を認め合う
優しい世界になれるよう願うばかりです。

そういえば今日は大晦日ですね!
皆様良いお年を!来年も宜しくお願い致します。

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