創ってたら評価されてたのか、評価されたいから創るのか

やってしまった。ハマリたくない思考にどっぷりと落ちていた。恋人さんと話していて気が付いた。

今の感情を、忘れないために、今、書き残しておきます。


歌も、ダンスも、絵も、文章も。表現活動、創作活動は私が生きていく中でも大切なもの。大好きなもの。感情やアイディアをどうやって形にしようって考える時間も、実際に作り上げてく時間も、心がトキメキであふれている。作品が完成した時の達成感はなにものにも代えがたいものだし、その作品をみて「あの作品よかったよ!」なんて言葉をもらうとさらに嬉しい。

そう、自分が好きで作り上げた作品が、評価されたら嬉しい。

好きだから創るのだ。作りたい!と思った感情があるから創るのだ。



評価されたくて作ってるんじゃないの。ないはずなの。



最近、MIXに挑戦するようになった。

簡単に言うと歌のお化粧みたいなものなんです。元々歌が好きで、せっかくなら自分でMIXできるようになりたいなぁと思ってやり始めたはずなの。少しずつエフェクトを覚えて、ピッチの調整なんかして、できることが増えていって、わくわくしながら完成させて。

で、恋人さんに最初に聞いてもらってたんです。「ねぇねえできた!聞いて!」って。「頑張ったね~お疲れ様~」って言葉をいつもくれるんです。

でも「すごい」って言われない。


・・・いやちょっとまて。「すごい」って言われないことになんでへこんでるの私。歌いたくて歌って、MIX練習したくてMIXして、途中であきらめず最後までやり抜いて、作品を一つ生み出せたのに。

「すごい」って言われたかったの?言われるために作ってたの?


ハッとしちゃった。


大好きな創作が、自分が評価を得るための道具になっちゃってない?

例えばその道のプロとして、対価を得ての作品作りだとしたら。そりゃクライアントの反応とかも大事だし、世に広く受け入れられてほしいってなるかも。

でも、趣味なんですよ。自分がやりたくてやっていること。それを心の中で誰かと比べて、「あの人は評価されてるのに自分はなんで評価されないんだろう。」って、それで苦しくなっちゃうって。そんなの、好きでやってる創作なのに本末転倒というかなんというか。


周りを見渡してみても、自分で自分の大好きを詰め込んでやりきった!って作品はなんだか魅力的に見えるんです。創った本人は「やりきった!次!」ってどんどん前に進んでいっちゃう。そんな人の作品と出会うときって、美術館で作品を見てる時と似てるのかなぁ。

うーん…作者さんがそこにいるわけじゃなくて、自分とその作品とがまっすぐ向き合えて、自分のペースでじっくり見ることができる。心震えたらどうにかして感想を伝えたい!なんて思ってアンケートに感想書いたり、とかね。


ひとつひとつの作品を大事に、「思いを込めた作品ができた!見てほしい!」って思うのはいいことだと思ってる。自分が持てるものを詰め込めた作品って、それだけで愛が溢れてるし、「見て!」って言ってもらうことでその作品と出会えるわけだし。


でも、そんな愛を込めた作品に対して「自分が思うほど見てもらえてないかも」とか、「自分が想定していた評価がもらえてない」とか、そういうことで作品への自信がなくなってしまうのって、めちゃくちゃもったいないよなぁって。冷静に考えればわかる。愛はちゃんと作品に詰まってるはずなのにね。


「自分が思うほど見てもらえない」とか、「自分が想定していた評価がもらえない」とか、もしかするとこういうこともあるかもしれないですよね。

会社に向かって歩いてたら、いきなり「素晴らしい作品ができました!さぁ今美術館にきて!!」なんてお誘いが。いやいや今仕事向かってるんでそういうタイミングじゃないです、って断ると「作品に魅力がないからだ…だから見てもらえないんだ…」って。受け取る側のタイミングってのもあるよね。

タイミングが合って、いざ美術館にきたとしよう。作品を見ていると、どこからともなく作者さんがやってきて「これはね、ここにこだわってね、これってすごいでしょう!」って先に全部説明されちゃったりとか。うお、期待の眼差しでこっち見てる。これは「うーん、でも私は向こうの作品の方が好きかなぁ…」なんて思っても、言い出せずに「わ〜…すごいですね…」って言っちゃうパターンかな。それかはっきり別の作品のほうがすき、って言われて「頑張ったのに…評価されない…」って落ち込むパターンかな…なんだか想像してるだけで落ち込んできたぞ…

作品の評価=自分の評価、になっちゃうと、余計にこの負の思い込みに落ちていきそう。作品は作品であって、私自身の評価とは別物、でいいはずなのにね。

ううん、心って難しい。やっかいだ。



なのでここからは、この先万が一にも創作をしていて自信をなくしてしまったときに、そのときの私に、今の私が伝えたいことを残しておきます。

創作が好きで、だから創ってるんだよね?あなたが、創りたい!と思ったからできた作品なんだよね?それでいいじゃん。有名になりたいから創作するの?違うよね。誉められたいの?創作はその手段なの?違うね。
もしこれが仕事なら、もちろんトレンドをおさえたり、大勢が好むものを生み出すことが求められるかもしれないね。でも、今あなたがやりたいと思ってるそれは、誰かに認められるための道具ではないんじゃない?

私はあなたの作品好きだよ。いいものができた!と思わない限り世に出してないじゃんあなた。納得いかなければ何度も練習して、手を加えて、自分のなかで「よし!」と思えたものを出してるじゃん。もちろん経験を重ねて、もっとこうすれば良かったかなーって思うこともあるかもしれないけど、その時その瞬間の最高は間違いなくその作品に込められてるよ。リメイクしたりリライトしたり、さらに最高を更新していくのもわるくないんじゃない?

「もっとできることを増やしたい!」っていう前向きなチャレンジはめっちゃ応援する。見てもらうための工夫とか、愛の込め方とか、そのための技術向上とかね。それはほら、ちゃんとベースに想いがあるから。表現したい、創りたい、この感動を共有したい、衝動を形にしたい、「したい」にまっすぐな挑戦はもう全力で応援するわ。

でも「評価されないからもっと頑張らなきゃ」っていう、評価のための義務感で動いちゃってるんだとしたら、ちょっと一旦ストップ。はい深呼吸して。今絶対肩に力入ってるからあなた。そりゃわかるよ~だって私だもん。それで創作が嫌になっちゃったら元も子もないじゃんね。

あなたがつくる作品はあなただから創れるんだよ。他の誰も、同じものは創れないよ。あなたが生み出したからその作品はこの世に存在するんだよ。

これはもう、あなたは「作品という名の命の紡ぎ手」だね。かっこいいじゃん。紡ぎ続けてよ。私ずっと楽しみにしてるからさ。

未来の、創作に苦しさを感じてしまった私へ。

とりあえず煮詰まったらこの置手紙、読みに来てください。

私がいちばん、あなたの作品のファンです。


未来の私へ。

2020年8月3日の私より。


こちらに参加中。22日目。にゃんにゃんで猫かな?



ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。何かあなた様の心に残せるものであったなら、わたしは幸せです。