あちこ

大正〜昭和の銀幕女優さんが大好きです❤️

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【映画と歌のパレード】野添ひとみさんとSKDの仲よしグループ「あんみつ会談」@主婦の友 1954年5月号

東京の名物、浅草国際劇場松竹歌劇の四大踊りが、今年も『春の踊り』につゞいて、『東京踊り』の開幕です。乙女の夢をのせて、七彩の舞台に踊る若き人々。未来の大スターを夢見るSKDの十代仲よし同期生、芦川泉さん、山鳩くるみさん、真風洋子さんの三人が、舞台の合間に近所の“あんみつ屋”さんに現れました。そこへ、彼女たちと同期生で、今は、映画界で活躍する野添ひとみさんも一枚加わり、お話はます/\はずみます。 野添 しばらく、みんなお元気? 芦川 あなたもお元気で何よりだわ。いつもスクリ

    • 女優服飾座談會@日活畵報 1929年1月

      梅村蓉子 入江たか子 伏見直江 聞き手:伊藤和夫 於 京都南禪寺瓢亭 伊藤 わざ/\お集りを願ひまして有難う御座います。今夜は、みなさんの「服飾」に關する御意見をお訊きして、わが日活畵報新年號の誌上を飾りたいと思ひますが、どうぞ腹藏なく日頃の御蘊蓄を傾けて、虹の如き御氣焰をお吐き願ひたいと思ひます。 で先づ、仕事に關する事から最初にお訊ね致しますが、撮影に使用する衣裳ですね、あれはみなさんが勝手にお選らびになるのですか、それとも、監督なり又は美術顧問なりが定めるのですか?

      • 追っかけ時代に占い師に言われたことが(ほぼ?)現実となった話

        たまに思い出す話なので、ここに書くことで成仏させようと思います。 ワタクシは昔、某アイドルグループの追っかけをしていました。 私はすでに結婚していたくせにそのグループにどっぷりのめり込み、ガチ恋並びにガチ病みしていました。 毎年行われるコンサートツアーは全ステ…とはいかないまでも、北は北海道、南は九州の端あたりまで足をのばし、海外公演にも参加する始末。 コンサート会場でできるだけ前に行くために、いくら積んだことか…。 また合間を縫って、歌番組の観覧にも足しげく通っていま

        • 雑誌「幕間(まくあい)」昭和33年5月号 マクアイ・リレー対談「中村歌右衛門氏・三島由紀夫氏対談」③

          ※①はこちら、②はこちら 大時代な本読み歌 お仕事で三島先生にお目にかかったのは、初めは「地獄変」でしたね。歌舞伎座の貴賓室で本読みなさいました。私、それを伺って、先生は歌舞伎をお好きだということが、なんかとてもはっきりわかったのです。 司 全部お読みになったのですか。 歌 ええ、大変なのです。(笑) 三 それで今でもからかわれるのですよ。 歌 いいえ、いいえ、そういうことはありませんよ。とても大時代なの、(笑)もう本当にね。 三 一から十まで大時代で、ちっとも間

        【映画と歌のパレード】野添ひとみさんとSKDの仲よしグループ「あんみつ会談」@主婦の友 1954年5月号

        • 女優服飾座談會@日活畵報 1929年1月

        • 追っかけ時代に占い師に言われたことが(ほぼ?)現実となった話

        • 雑誌「幕間(まくあい)」昭和33年5月号 マクアイ・リレー対談「中村歌右衛門氏・三島由紀夫氏対談」③

          雑誌「幕間(まくあい)」昭和33年5月号 マクアイ・リレー対談「中村歌右衛門氏・三島由紀夫氏対談」②

          ※①はこちら はじめは宗十郎ファン司 先生がお書きになった脚本は、「鰯売り」にそれから 歌 一番最初が「地獄変」で、 三 「大内実記」それから「熊野」 司 この間の「朝の躑躅」で結局五本ですか。 三 ええ。僕はね、台本というものは俳優を想定して書くものだ、と思っているんですよ。本来。新劇だってある程度……。 司 当てもない脚本はお書きにならない。 三 勿論、習作時代はずっと書きましたね。しかし、これからは、新劇でも余り当てのない脚本を書くつもりはないです。一幕物

          雑誌「幕間(まくあい)」昭和33年5月号 マクアイ・リレー対談「中村歌右衛門氏・三島由紀夫氏対談」②

          雑誌「幕間(まくあい)」昭和33年5月号 マクアイ・リレー対談「中村歌右衛門氏・三島由紀夫氏対談」①

          とき:4月7日・ところ:新橋「金田中」 おかるの扮装で初対面 司会(以下「司」) 先生の歌右衛門さん贔屓というのは有名ですけれども、いつ頃から、 三島(以下「三」) とにかく楽屋に伺うようになる前が随分長いんですよ。それで僕が芝居を初めて観たというのは、中学に入った十三の年なんです。羽右衛門と六代目の「忠臣蔵」の時。小学校の間は、芝居を観ると教育に悪いというので、観せてくれなかった。それで初めは俳優さんの名前も良く知らないし、歌右衛門さんのことも、余り印象に残っていない

          雑誌「幕間(まくあい)」昭和33年5月号 マクアイ・リレー対談「中村歌右衛門氏・三島由紀夫氏対談」①