見出し画像

「孤独」の後遺症。

孤独
仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。「—な生活」「天涯—」

goo辞書

これまでの人生で、私が一番孤独を感じた時期…それは長男を出産したあとの半年ほどだったと思う。

札幌から25歳で上京し、28歳のときに職場結婚。産休・育休を取り、都内の病院にて、31歳で第一子の長男を出産した。

当時私がどれほど孤独を感じていたかを表す、とてもわかりやすいエピソードがある。

生後4ヶ月の健診が行われた保健センターから長男を抱っこして出てきたとき、ある女性に声をかけられた。

「4ヶ月健診だったんですかー?」

私は、何も考えずに受け答えし、気づいたら楽しく喋り込んでいた。

生命保険の営業の女性とも知らずに…

営業の女性は何も悪くない

あれよあれよという間に、2回目に会う時には自宅に招き入れ、学資保険や、生命保険の案内を受けた。
子どもの相手もしてくれて、救いでしかなかった。彼女には、小学生の娘さんがいるとのことだった。

私だけだと決められないから、と言って、次は夫のいる土日に来てもらった。夫はかなり嫌がっていた。

私は「せっかく来てくれるんだから、ちゃんと聞いてもらわないと困る」と言って、不服そうな夫にムカついていた。

いざ生命保険の案内を受け始めると、夫はあれこれ質問して、「ここまで手厚くなくても、高額医療費の制度もありますしね…」などと反論し、さらに私をイラつかせた。

完全に、私、取り込まれておる…笑

私は「話し相手になってくれた親切なあの方に恩返しをしなければ…」という思いしかなかった。
なんらかの契約をしなければ、と。

そのくらい、話し相手に渇望していた。
共感してもらいながら、気軽に相談できる人が欲しかった。
子育て広場にも行ってみたけど、すでに出来上がっているママたちの中には入れず、寂しさはより募り、居場所や仲間を心から欲していた。

たまに、同僚や、取引先で仲良くなった妊婦さんが遊びに来てくれるという連絡があると、飛び上がって喜んだ。

今思えば、みんな働いているのだから忙しいわけだし、頻繁に連絡なんて取れないとわかる。

だけど、赤ちゃんとゆったりした時間が流れ、1日がとても長く、1週間も長く、ずーっと考えごとし放題の私にとって、

「私がいてもいなくても、みんなには関係ない」
「誰からも必要とされてないってこんなに虚しいんだ」

そんなふうに寂しさをこじらせるには十分すぎる時間があった。

今でこそ、夫に対し、思ったことをべらべらまくしたてて、反論を許さない圧を醸すようになった私だが、当時は、気持ちを分かってもらえる相手ではなかった。

夫は、どこかで聞いたことのあるような正論や、自分の親から言われたことをそのまま私に言うような人だったから、余計に私は「わかってもらえる人」と話したかった。

あれからまもなく10年の月日が経つのか。

今は、話を聞いてほしいなぁ、この人となら分かり合えるよなぁ、という「仲間」が近所にもいるし、noteの街にもいる。
夫のことも、今なら仲間認定できる。

ちなみに、保険はどうなったかというと、生命保険の申し込みは決断できなかったので、せめてもの苦肉の策で、私名義の個人年金を契約した。

保険セールスの女性は、今でも夫、私、長男の誕生日にはメールと、年末にはカレンダーを送ってくれる。

お客さん全員にしてるんだと思うと、尊敬しかない。

そして、孤独はすっかり和らいで、もう顔を出すことはないのかと思いきや、思わぬところにまだいるのを見つけた。

「仕事で採用されたい願望」だ。

私は、狂ったように求人情報を見る癖がある。
それは、「今どういうスキルが求められて、どのくらい価値があることなのか」を知りたいからだと思っていた。

でも、最近違うような気がしてきた。
その求人に応募して採用されるかどうかを知りたいのだ、きっと。

「あなたが必要だ」と言われるかどうかを知りたいのだ。

だから、正社員で働く気もないのに、エン転職などから、「スカウトがきました」というメッセージが届くと、何を差し置いてもそれを確認してしまう。恥ずかしい話だ。

「誰かから必要とされたい」というこじらせが治ったと思ったら、「どこかの会社から必要とされたい後遺症」になっていたのだった。

ということは、それもいつか克服できるってことか。

「誰かから必要とされたい」という気持ちより、自分が誰かを必要とする気持ちを自覚した今の方が幸せだと気づいたから。

仕事においては、どういうことなのか。
時間をかけて、考えてみることにしたい。


いただいたサポートは、「生きててよかった」と思えることに使わせていただきます!