世界を股にかける道を夢見て【ACEトークvol.9 :前編】
1月のゲストは、ソーシャル・ビジネス推進事業の桐村康司さん。2016年に入職し、過去のキャリアを生かして企業との連携事業を担っています。
桐村康司さんプロフィール
物理学者の夢を捨て、広い世界を見るために外語大へ
杉山(司会):「小さい頃から世界を夢見てきた」と伺っていますが、どんな夢を描いていたのかを教えて下さい。
桐村:幼少の頃から田舎で育ったので、田舎から外に出て、とにかく広い世界を見たいな、世界を股にかけるような仕事をしたいな、ということで商社に入りました。
そもそも外語大に行ったというのも世界を見たいという気持ちがあったんです。
イタリアって今はすごく人気があるんですけど、当時は「先進国なんだけど、なんか地味で昔は凄い国だったはずなんだけど、なんか廃れちゃっている国だなぁ」みたいな、そんなに見られ方してたんです、70年代初めの頃は。
当時はフランスがすごくブームでね、映画でもヨーロッパ映画やフランス映画がすごくヒットしたんです。アランドロンとか、ナタリードロンとか、名前を聞いたことがある人もいるんじゃないかと思うんですけど、イタリアはその陰に隠れてたんです。でもなんか知りたいなという思いが募って、それでイタリア語を専攻したんです。
杉山(司会):そういうことだったんだ!桐村さんがなんでイタリア語を選んだのか、直接聞いたことがなかったんですけれども、未開の地を開拓したいっていう思いがあったんですね。
桐村:あと、ユーロビジョンっていうヨーロッパの音楽祭って知ってますか?70年代の初めにJun&Ropeが提供しているヨーロッパの音楽を紹介する番組があって、そこで結構ヨーロッパの曲を聴く機会があったんだけど、カンツォーネを聴いたことがあって。
杉山(司会):えー生で!?
桐村:生というか、テレビで。それを聴いて、早速近所のレコード屋さんに行ったんです。全然知らなかったけど、カンツォーネのアルバムを、いわゆるジャケ買いをしたんです。それを聴いたらもう惚れこんじゃって!イタリアに興味を持ったのはそういう経緯がありました。本当は高校2年まで理系で、数ⅲを履修していたんですけどね。
杉山(司会):もともと理系だったことが今のAIの秘密を知ることへの興味に行きつくんですね!
桐村:本当は京都大学に行って湯川秀樹さんの後輩になりたかったんですけど、高校2年の秋の進路相談でお前の今の数学の成績では京大理学部は絶対に無理だなってなって、それで進路を変えたんです。じゃあ外語大、イタリアだ!世界にはばたこう、と思ったんですよ。
世界に羽ばたくために商社へ、そして投資会社へ
青井(司会):そういうことで商社に入られて、海外出張もされていたんですね。それで一旦夢を叶えたと言うか、 行きたい方向に進めたんですね!
桐村:そうです、物理学者になることはできなかったんですけど、すぐ別の新しい夢にたどり着けました。
杉山(司会):青井さんと桐村さんは実は同じ大学で、後輩と先輩にあたるということですけど、桐村さんがイタリア語を選んだ理由はなんだったんだろうっていうのがずっと気になっていたんです。
卒業後に商社に就職をされたということですが、何年くらい働いてたんですか?
桐村:商社にいたのは20年です。昔のことをご存知の方は総合商社辞めます!っていって、総合商社の看板を下ろした会社があったのを覚えている方もいるかもしれないですけど、僕はそこにいたんです。
辞める前3年間は広報にいたので、実は総合商社やめます!っていう社長の記者会見の設定したのは広報担当の私だったんです(笑)
杉山(司会):それは大変でしたね(笑)
桐村:希望退職を募っていた時に、退職金を倍くれるっていうことだったので、これはもう辞めなきゃ損だということで(笑)、まだ当時若かったのでその時に商社を辞めました。
それからイタリアの宝飾品製造小売り会社に務めたんです。その後10年あまりは、商社でも稼いでなんぼの銭金の世界だったんですけど、もっと貪欲で本当に生々しい世界の、投資会社にいました。そこで投資家向けの広報であるIR (Investors Relations)の仕事をやっていました。その次にACEに来たんです。
杉山(司会):なるほど~
桐村:ACEにたどり着く経歴は、商社も宝飾ブランド会社も遠くでつながってたのかもしれないけど、投資会社にいた時の思いからACEにつながったという方が正しいかもしれないですね。
杉山(司会):そのお話、ぜひ後半でゆっくり聞かせて下さい!
外語大で学んだイタリア語を仕事に活かす
杉山(司会):イタリア語を学んだことで、イタリア語も使いながらお仕事をすることもあったんですね。
桐村:そうですね。商社時代と、イタリアのメーカー兼小売の会社にいたときはそうでした。
杉山(司会):言語の獲得はやっぱり自分の夢を叶える上でも大事な選択だったなと感じますか?
桐村:そうですね。仕事上でダイレクトに使えたので。
もちろん商社で直接取引するような相手は英語を話す人が多いんですけど、僕は仕入れ担当で、日本のお客さんに良い商品を紹介する仲介をしていたんです。
鉄鋼とか機械とかのすごくスケールの大きい、いわゆる金偏っていうんですけど、そういう商売の場合は間に入って取引に介在して コミッションをいただくみたいなね、あんまり面白くない仕事が多いんですけど、アパレル、テキスタイル、繊維の分野は素材が良い物を見つけてくるという仕事をしてる人たちがいて、僕はそのチームにいたんです。
良い原料とか素材とか、良い製品を作るところを見つけてきて、お客さんに紹介して、百貨店とか問屋さんのお客さんを呼び込んで、アテンドして、商売をつけるという仕事をしていました。
現地語を話せることが、ビジネス関係の構築にも役立った!
桐村:例えば紳士服の梳毛(そもう)っていうスーツの原料になるような織物の生地を作るのはイタリアの北西部のビエラっていう産地があります。あるいはニットのセーターはイタリア中部で、ボローニャからちょっと離れたところにあるパルマっていうニッターがいっぱい集まっている産地に行くとか。色々な地方があるんです。
そこに行くと田舎の工場の人達、技術者みたいな人たちは英語をほとんど話さないので、現地の言葉知ってる方がはるかに有利でした。
初めて行く仕入れ先では最初イタリア語を喋れないフリをするんです。そうすると、「なんか日本からカモが来たぞ」みたいなことをイタリア語で悪い相談してるんです。(笑)
桐村:それで、「話はよく分かったから、これくらいまけられるよね、もうちょっと値段下げてよ」みたいなことを突然イタリア語で言って、現地の人たちをびっくりさせてっていう面白い経験もしました。
杉山(司会):なるほど~!惹きつけて、また関係を構築するっていうところにも言語が使えるところがあったんですね。
ありがとうございます。後半では桐村さんとACEとの出会いについての話を聞いていきます!
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