相手の気持ちになってる?
今回は"ヘアの普遍化理論"についてのお話です。
普遍化のお話では、"相手の気持ちになって"という部分がありました。
これを掘り下げてみます。
例として、Aさんが駐車場に車を停めようとしたら、Bさんの自転車が置いてありました。
Aさんは、Bさんに自転車を退かすよう言いました。Bさんは素直に自転車を退かせました。
これは、"選考の強さ"がお互いに一致したため、解決した問題です。
「駐車場に車がある」と「駐車場に自転車がある」を比較し、AさんもBさんも前者が正しいと判断した結果です。
逆に、Aさんが、「退かさなくていいよ。自分も退かさないから。」と考える場合もありますが、
Bさんの選考とは異なるでしょう。
ちなみに"普遍化理論の問題点"もあります。
先程の車と自転車の例えを使うと、
「Bさんは車を持っていないため、自転車を駐車場に置くことが問題だとは思わないかもしれない」
「Bさんは環境に配慮し、車=悪という信念があるため、車こそ退くべきだと思うかもしれない」
という考えもあります。
このような場合はお互いの選考が一致せず、普遍化は成り立ちません。
理由は簡単で、AさんはBさんの、BさんはAさんの気持ちを理解していないからです。
これは社会生活ではありふれていることです。
自分についての現実と、他人について想像した事態とを対等に扱わないと、道徳的とは言えません。
私の家族も度々衝突していますが、やっぱりお互いの信念やプライドがぶつかり合っているんですよね。
自分を押し出すあまり、他人を気遣う余裕が無くなっています。
これは自分も気を付けないといけない所です。
皆さんは相手の気持ちを汲むことが出来ていますか?
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