ついに!パッカーン! 〜両親に離婚話をしに実家に帰ったときのこと〜
人生で、これ以上憂鬱な帰省があるだろうか?
2018年2月の土曜日。
赤坂サカスのスタバで、浮かない気分でノートと向き合っていた。憂鬱な気持ちは増すばかり。(ここまでの話)
保守的で頭の良い父親に対し、いったい離婚をなんと説明すれば良いのか?まるで報告書を書くかのように、背景・経緯・事実(自分の意思と今後の進め方)を淡々とまとめようとしていた。
離婚の理由は、果たして父に納得してもらえるのだろうか?
もう二度とこの家の敷居をまたぐな、なんて言われてしまうのだろうか?
父は結婚前に言っていた。「結婚とは、我慢だ」と。
つまり、私のこの決断は「我慢が足りない」ということになるのだろうか?いや、私はこれまで30年間、習い事だってバイトだって仕事だって、投げ出したものなど一つもなかった。初めての「お手上げ宣言」なのだから、さすがにわかってもらえるのではないか?それともこれは甘えか?
あーーーーーーどうしよう。でも、もう、なるようにしかならない。
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入念に準備と検討を重ねていたが、全くの杞憂に終わった。
なんと、家族会議はわずか10分で終了したのだった。
離婚の意思は事前に母に伝えてあったため、父も状況は簡単に理解した上で始まった会議。
「もう、決めたのか?」
「うん」
「彼の契約不履行だな。さっさと別れなさい。」
その時だった。こんなに両親の前で泣いたのは子供の時以来ではないかと思うほど、涙が出てきた。ずっと張り詰めていた何かが、ここで全て切れた。
そしてこの時、長年抱いてきた自分の不安・苦しかったことについて全部両親に打ち明けた。
私はパパとママの期待を裏切ってばかり。
大学受験で第一志望の国立には入れなかったことを、今もとても申し訳なく思っていること。「ダメだった」と伝えた時の、パパの落胆した表情が今でも忘れられないこと。
就職した会社も、大企業ではあっても、私の友達たちが就職したような”エリート企業”ではないこと。
やっと30になって結婚したと思ったら、即離婚すると言いだしたこと。きっと、私がこのままワーキングマザーとしてキャリアを積んでいくことを期待していたであろうが、それに応えられなくなってしまったこと。
そういえば子どもの頃、毎日パパが帰宅すると「今日もお利口にしてたか?」って聞いてくるのがとても苦痛だったこと。
子どもの頃からずっと自分が大嫌いだったこと。
パパとママは妹を甘やかしすぎ(もっと怒るべき)だと思うこと。
・・・
今まで一度も言葉にしたことがなかったことを、ひたすら正直に話した。
両親は、きょとんとしていた。
父が言った。
「悪かったな・・・大学受験のことも、就職・仕事のことも、何も気にしていない。そんな期待などしていなかった。離婚のことも何ら問題ない。あきこ(私の本名)が幸せであればそれで良い。それだけだ。」と。
重ねて母が言う。
「そうよ〜あなたが幸せなら、パパもママもそれでいいんだから^^」
えっ???私ずーーーーーーっっと気にしてたんだけど今まで!!!!!
あっ、これ、勝手に思い込んでただけだった?そうなの?嘘でしょ!!
ここで、何十年間も続けてきた、”自分責めドMゲーム”の終了ゴングが鳴った。
勝手に一人で自分を追い込んでいた。パパとママはいつも、”こんな私”を期待していると思っていた。それに応えられない自分が許せなかった。でも、そんなこと、何も期待されてなんかいなかった。私はただ、私で在れば良かった。それだけだった。
そう、この瞬間こそが、私の最大の”ぱっかーん”であった。
もしかしたら、この瞬間のために、全てが仕組まれていたのではないか?と思うほどだった。一連の離婚劇も、2年前のリーディング・シッティングも、オラクルカードも、インナーチャイルドセラピーとの出会いも何もかも。(過去記事参照)
インナーチャイルドセラピーを通した気づきである「被害者意識からの卒業」を、ここで肚の底から誓うのだった。
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