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衝撃!”書く瞑想”は実在する概念だった:ジャーナリング

「まるで瞑想に似た感覚」

ノートブックに考えや思ったことを書き出すこと、こうしてオンライン上で考えたことを文字にして発信することを、以前から私はそう表現していた。

なぜなら、その時間他のことを考えないから。

自分の脳内と、目に映る文字だけに向き合う。

そして、そうすることで脳内(時には気持ち)が整理されていくから。

いわゆる、今を感じる・今ここ自分というやつね。


そうしたら、、 なんと、、

そのような概念が言葉として存在していることを知った。

書く瞑想=ジャーナリングというらしい。

私、この方が好きで、離婚を決めた頃に会いに行ったこともあるのだけれど、彼女が先日紹介していたことで、この言葉を知った。

私は、”ジャーナリング”をやっていたんだね♡

これに決まった形はなくて、自分の好きなように書けば良いのだと思う。そういえば私、最初の頃全然書けなかった。けっこう几帳面な性格で、ノート=綺麗に書かないと許せない、みたいなところもあった(笑)

そんな私は最初、ノートではなくて裏紙に書いていた。これなら気にせず書けるし、あとで捨てれば良い♬と思うと、気楽だった。

でも、ある時から、「読み返したい」(軌跡として残したい)気持ちが強くなって結局ノートになった。

ちなみに、ジャーナリングについて調べてみたら、noteでも記事を書いている方がいた。この記事に(一つの)やり方が記載されており、わかりやすかった。ご参考まで♬

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不思議なことに、名前がつくだけで、一つの概念の捉え方が変わる。

ふわふわしたモノに、しっかりフレーム(輪郭)がつくイメージね。

ノート書いて内観するアレ!→ジャーナリング

けど、まさに名前をつけるって、ノート(あっ、裏紙でもOKね♡笑)を書くことと同じだと思う。

自分の中にあるモヤモヤ得体の知れないものが、外に出ていくことで輪郭が形成される。そうすることで「なんだか怯えていた怖かったモノ」の全容が把握でき、「へぇ〜♬な〜んだ!」なんて思えたりする。

仮にそこまでたどり着けなかったとしても、不安の全容を見ることで、その不安は最小化することができる。私がよく言っている”不安は幻”はこれに起因する。(だいたい幻想の中で肥大化しているから)

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ちゃんと名前があったんだね♡良かった♡

私は今日も明日もこれからも、大好きなジャーナリングで、”今の自分”とゆっくり向き合う。


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