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父・最期の直筆「外へ」の裏に込められたメッセージ

2022年暮れに入院していた父と筆談を試みた際に爆誕した「外へ」にまつわるストーリーは、ジャーナリスト・矢崎泰久 最期の句として、その生き様を示すにあまりに相応しかったため、雑誌「創(つくる)」や追悼イベントの場などでたびたび披露させていただき、いつでも好評でした。「すべらない話」というやつかもしれません。

これは「一刻も早く病院から出せ」という指示であり、何より自由を愛した父の選択でした。

そして、実はこのメッセージには裏があります。この裏ストーリーを公表するかどうか悩んだ……こともないのですが、一周忌を機になんとなく思い出したので忘れぬうちにしたためておこうと思います(※しょーもない話です)。

「外へ」の元本。ところどころ力強い筆圧が残っている

裏へ

裏というのは、意味深なことではなく物理的に裏です。「外へ」は、父・矢崎泰久 最期の“代表的な”直筆であることに偽りはありませんが、実際は裏面も用いて様々な意思疎通が図られたのでした。その裏面とは……。

遺族以外には初公開となる「外へ」の裏面

「外へ」のキャッチーさ、パワーと比べるとだいぶ散らかっており、すべては解読できていませんが、おそらくこうであろうというのは、ほぼすぐに判明していました。

「土井(どい)」「ギンザ」とある

土井(どい)というのは週刊金曜日の土井さんのことで、雑誌「話の特集」時代から長年、父を支え続けてくれた偉大な方であります。

週刊金曜日における父の連載

連載について何か土井さんに伝達したいことがあったのでしょうか。あるいは、個人的な何かかもしれませんが、この後、実際に土井さんとの面会は叶っているので、目的は遂げられたと信じています。

ギンザというのは、そのまま銀座です。父はグルメで、脚を悪くして遠出ができなくなってから、いつも「銀座へ食事に行きたいなぁ」と漏らしていました。一緒に行きたいお店があったのでしょうね。

最も大きく書かれていたのは……。

「(病院の食事が)マズイ」

これは声にならない声でも言っていたように思います。病院の何よりも食事に耐えられたかったのでしょう。「こんなマズイものを最期に食べて死ぬのだけはゴメンだ」という、実に父らしい意思表示だったのです(病院食は普通でした、念のため)。

入院前の父。とにかくよく食べた。この数週間後、他界するとは思えぬほど…

今ごろは天国の銀座で、先に旅立った多くの仲間と共に食事を楽しんでいることでしょう。ホント、しょーもない話でスミマセン。

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