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健やかに生活する(6) 「遊び」を持つ

これは年齢を重ねたり経験を重ねたりした結果なのかもしれません。若い時は全然こんな考えには至らなかったな、と思います。

でも、健やかに生活するには、プラスの感情が働くのはいくらでもよいけれどマイナスの感情が働くのはよくないな、と思ってます。マイナス方面に感情がぶれないようにしようと思うと、「遊び」があるのが結構大事なのかもしれない、と感じてます。

家によく友人を呼ぶのですが、友人たちからは「家の中が片付いている」と必ず言われます。また、Instagramにちょこちょこと自分の料理写真をUpしてますが、それも料理をしょっちゅうしているように言われます。

が、片付いているのは、実はもともとモノが少ないからです。さらに散らかす人はわたししかいないです。同じぐらいの年齢になると、ちょっと大きくなってきてる子どもがいるケースもあり、自分以外にも散らかす人がいます。
さらに料理の話でいくと、料理は週に1回の作り置きのときしかしていません。

ここでいう「遊び」は「ゆとり」とか「よゆう」のことを指します。物事に対して四角四面、几帳面にしすぎないようにするということ。これは事象もそうだし考え方もそうです。自分自身が過去に完璧主義者だったから、よくわかりますが、この主義は本当に疲れます。完璧を求めるといろいろ義務感に苛まれてしまって辛くなります。
おそらく人に対しても、事象に対しても、考え方に対しても、イチゼロで考えることほどしんどいことはないです。「遊び」を持つというのは、言い換えると「許してあげる」部分を持つという感じでしょうか。

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実は、わたしは元来のさぼり魔なので極力何もしたくないほうです。そのために掃除の回数を減らしたり機械にやってもらったりしたいと思ってます。だから、物を少なくして機械が勝手に動いてくれればよいと思っています。

なので、よく見れば棚にほこりはかぶっているし、掃除機を2週間ぐらいかけてないところもあります。が、そのことに対して「綺麗になってない!」とは思わないようにしてます。まぁ気にならないから今のところいいか、と放置し、気になったときにやる、もしくはベアーズさんが来てくれたときについでにお願いする、とかです。

料理も週1回の作り置きをしているだけで、普段は台所に立たないです。どうしても立つのは、彼が急に晩御飯を食べに来た時だけ。それ以外は洗い物ですらやらず、食洗器に任せているぐらいです。

ひとりごはんのときは面倒だったらUber eatsに頼ることも多いです。最近一人分の量が多すぎることもあるので、そのための作り置きですが、使う食器は最小限です。そして数日分の食器をまとめて洗うこともあります。ゆすいだあとに食洗器に入れておけば散らかってる感は出ません。

前にこの記事で「人に期待しない」と書きました。人でなしのような発言ですが、細かく書くと「人が自分の思い通りに発言したり行動したりすることを期待しない」です。

これも実は「心のゆとり」のようなものだと思うのですが、相手に期待してしまうと、違うかった時にマイナス感情が働いてしまうからなのです。そうじゃなかった時のガッカリたるや、ものすごいマイナス感情です。でも、人と自分は違うのだから、全く同じように期待することのほうが「あなた何様のつもりよ」と自分に対して思うのです。

そこで出てくるのが、心のあそびの部分。ここがあることで、少し俯瞰して捉えることができて、相手に対してどうして欲しいかもう少し細かく伝えることもできる。自分の期待や希望も噛み砕いていうことができる。

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どれ一つとっても、あるのとないのとでは、日々の健やかさが違う気がしています。わたしがときどき無になる時間を作っているのは、心のあそびを保つためかもしれません。

細々とつぶやいているだけですが、読んでウンウンうなづいたりしてくれる人がひとりでもいればいいなと思って綴っています。もし何度もうなづくことがあったらサポートいただけると感動します!サポート代金はプレミアム代及び他のクリエイターの方のサポートに回します!