アダルトチルドレンからの、解放。
ここ最近ずっと、アダルトチルドレンだと自称することになんとなく違和感を感じていた。
そして今日、ごはんを作りながらフワフワと浮かんでくるままに母のことを考えていたら、こんな言葉にたどり着いた。
わたし、もう、
アダルトチルドレンではないかもしれない。
私はずっと、愛されていた。
我が家は土曜日は基本的に主人が仕事。
昨日も本来ならワンオペの日だったが、私が少しでも楽になるようにと、母と妹が電車を乗り継ぎ来てくれた。
母は作り置きおかずをたくさん作ってきてくれた。
とても眠そうにしているので、眠いの?と聞くと、
実は連勤明けなのだという。
連勤明けに、早朝からおかずを作って、8時には電車に乗って来てくれた。
私が少しでも楽できるように。
その時は、「ありがたいなぁ…」くらいにしか思わなかった。
でも今日、家族のご飯を作りながらいろいろと母との思い出を思いだしていたら。
お母さんってずっとそんな風に、一生懸命子供のためにがんばってくれる人だったことを思いだした。
*
毎日、「1日15品目摂らないといけないんだから」と、料理が苦手なのに何品も作ってくれたこと。
仕事が長引いている日は、職場からエプロンを付けたまま、自転車をすっ飛ばして保育園に迎えに来てくれたこと。
毎年夏に連れて行ってもらったキャンプ。
二人きりで行った、渋谷の住宅街にある静かな美術館。
そこで食べたチーズケーキが美味しかったこと。
私がうつ病になった時、なにがうつ病患者にとっていいのか、たくさん調べてくれたこと。
いい病院を調べては、連れて行ってくれたこと。
うつに効く食材があると分かれば、作ってくれたこと。
私が「死にたい、もう無理、死にたい」と言ってマンションの廊下から飛び降りようとしたとき、
「いいよ、じゃあお母さんも一緒に死ぬ」と泣かせてしまったこと。
再び抑うつ状態になりやすくなった私のために、
還暦を超えた母が今でもなお私を助けてくれること。
いったいどれほどたくさんのことを、
私にしてきてくれただろう。
それらは全て、愛情なしではできないものばかりだと、
親になった今の私には分かる。
なんて不器用で、なんて愛すべき。
昨日見た、母の姿を思い返す。
水仕事や力仕事をやり続けた母の手は、
大きくてぼこぼこ血管が浮いている。
笑うと目尻に浮かぶたくさんのしわと、
頬にあるシミ。
お母さんって、こんなによく笑うんだっけ。
お母さんって、こんなこんなに柔らかく笑うんだっけ。
私がいつまでも記憶の奥底から引っ張り出しては眺めていた "ヒステリックで、怖いお母さん" はもういなかった。
そこにいたのは、
ただ、その時できる精一杯を
一生懸命がんばってやり抜いている、
とても不器用で、とても優しくて、
愛すべき存在だった。
すとん。と、そう素直に思えた。
*
たしかに、幼少期から思春期かけて、母を脅威に感じたことは何度もあった。
それによってできたネガティブな思考の癖もあると思う。
でも、なにより大切なのは、これまでくれたたくさんの愛を、ちゃんと受け止めることだ。
ちょっと一生懸命すぎたり、不器用だったりして、こわい思いをさせられた時もあったけど。
母はその時の精一杯の愛情をもって、接してきてくれたんだ。
私のせいで母が不幸だったことはない。
私は、産まれてからこれまでずっと愛されてきたし、
これからもずっとそれは変わらない。
*
また、ふと不安になったりモヤモヤすることがあるかもしれない。
過去の嫌な記憶がよみがえることがあるかもしれない。
そんなときは、愛された記憶も一緒に、思い出そう。
何度でも、何度でも、私自身に伝えてあげよう。
あなたはずっと愛されてきたよ。
あなたは愛される価値があるよ。
存在してくれて、ありがとう。
■あとがき■
自分時間がほとんどない日々で、なかなか満足のいく記事が書けず、下書きばかりが溜まっていました。
でも、とりあえず書いて世に出そう、と投稿してみることにしました。
荒削りな文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました🌸