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映画評:『天気の子』

引っ越しの準備をしながら後片付けをし、作業用のBGMとしてまた『天気の子』を見ていた、新海誠作品ではこれが二番目に好きである。
一番目は『言の葉の庭』だ。
今日はちょっと『天気の子』の良いところを語りたい。
まずこの映画のテーマが
「世界よりも好きな人を選ぶ」ということは疑いようもない。
晴れ女であり「人々の晴れを望む」ヒロインは、天気の巫女として世界を救う役目を担っているセカイ系ヒロインである。
みんな天気は晴れている方がいいに決まっている。天気の力強さを、新海誠作業チームの圧倒的背景技術で成り立たせている。視聴者も、「晴れっていいな」と思うことは間違いない。
私が面白いと思うのは、前半中盤でこのように描きながらも、後半で「そんなのよりも好きな人を選択したい」という個人的な欲望に終結するところである。これが、公開時に結構炎上したのだが、私はこの点を強く推したい。
なぜならこのテーマが、第二の主人公である「スガさん」に関わってくるからだ。小栗旬が演じるこのスガさんは、主人公とほぼ同時に登場し、終盤まで重要な役目を担っている。彼は主人公と同じように昔、東京に家出をしてきて、同じように大恋愛をした人物だ。そして、数年前にその妻を亡くし、東京で事務所を開きながらも、うだつの上がらない生活をしている。
物語の中で、彼は言う。
「そろそろ大人になれよ、少年」
大人になって、「正しいと思われる選択」をしろと彼は主人公に言うのだ。
だが、「大人」とはなんだろう?
お金を稼げることか。自分で自分の生活を立てれることか。それとも、好きな人を守れることか。
スガさんは「大人」の選択をするために主人公を切り捨てた。彼には彼の生活があった。彼には彼の大事なものがあった。
その罪悪感に苛まれた彼はこう言う
「大人になるとさ、大事なものの順番を入れ替えられなくなるんだよな」
だが、その順番とは誰が決めたものだろう。スガさんは娘の親権を得るために、今悪い評判がついては困ると言う。つまり、社会的な信用というものを彼はここで気にしている。
社会的評判や信用というものを全く気にせず、最後にヒロインを助けに向かう主人公とは全く対照的なのである。
このコントラストが終盤まで強調され続けているのだが、私が好きなのはそんなスガさんが、最後に主人公を助けるために警察に向かっていくところだ。
そこで、スガさんは自分にとって大事なものを選択できたんだと思う。自分の将来なんて考えず、ひたすらに好きな人の元に向かう主人公を見て、スガさんは勇気付けられたんだと思う。
それは、ナツミさんという女性も同じだろう。自分のやりたいこともわからないまま就活をしていた彼女にとって、主人公の姿は眩しく映ったはずだ。だからこそ、彼女も主人公を助けるためにバイクを走らせた。
そしてだからこそ、そのような結果東京がメチャメチャになっても、彼らはそれを受け入れることができた。彼らは東京が海に沈んでも気にせず生きることができた。ラストシーンでは、随分事務所も成長していた。
そりゃそうだ。だって彼らはすでに自分にとって大事なものをわかってるんだから。
スガさんは最後に「どうせ世界なんて元々狂ってるんだから」と言う。これは主人公を励ます言葉であると同時に、「世界がどうなろうと、俺は変わらない」という言葉でもあるのだ。
そして、主人公はその言葉を否定する。
なぜなら当事者である彼は「世界と引き換えに好きな人を選んだ」という責任をずっと背負い、「世界よりも彼女が好きだ」という想いをずっと持って生きていくからだ。そして、ヒロインもそれはわかっている。ヒロインが東京に向かって祈る姿を見て、主人公が「僕らは大丈夫だ」と言うのは、彼らが「自分の選択の結果」の重さを引き受けて、それでも「好きな人」を選択したと言うその事実からである。
言葉は違うが、本質的にスガさんと主人公は最終的に同じ選択と結果を受け入れているのだ。
だから、スガさんもナツミさんも主人公もヒロインも、彼らはみんなこの先も「大丈夫」なのである。

このような新海誠監督のメッセージが感じられるので、私は『天気の子』が好きだ。

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