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自分が書いた小説

これまで何本か短編小説を書いてきた。
そのうち一本は沖縄の小さな文学賞で最優秀賞を受賞し、賞金10万円をいただいた。
俺は(俺はと書く自分が嫌なので、これからは私と書く)それを、いそいそと大学院入試の資金に充てた。この賞金がなければ試験代も会場に行くまでの飛行機代も払えていなかったので、文章が書けて良かったと心の底から思った。
先日、久々に自分が書いた小説を読み返してみた。
タイトルは「水平線の内側」。本土から沖縄に短期で働きに来る「しまナイチャー」を主人公に、無気力に生きる一人の女性を描いた作品である。
選考委員の評価はそこそこ良かったし、琉球新報の書評にも載った。当時はかなり嬉しかった記憶がある。
だから久々にこの小説を読み返した時、その文章を自分が書いたと思えないことに驚いた。全くの他人が書いているような感じである。これはなぜなのだろうか。不思議だ。書いていた時の私と今の私で何が違うのだろうか。
そしてそれは、もしかしたら新しい小説を書いてみないとわからないのではないだろうか。
そういえば、もう二年も小説を書いていない。
大学院に入ってからは怒涛の日々で、書こうと思いすらしなかった。そろそろ新しい小説を書く時がきたのかもしれない。そうすることで、他人になってしまった過去の自分を少しは理解できるかもしれない。
という思考をいつまで保ち続けられるか、自信は全くないかもしれない。
ここにこれを記しておくことで、なんとかその持続力を保ち続けられるかもしれない。

ちなみに私の小説は下記のリンクから読むことができる。がっつり本名だが、全くもって問題はない。私は自分の名前が好きなのである。タイトルの下にこの名前があることで、私はなんとか過去の自分との接合を見出すことができる。
かもしれない。

https://www.meio-u.ac.jp/library/award/assets/files/meio-award-r2.pdf

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