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じゃがいも出世物語

 「家庭」を連想させる料理として、肉じゃがは筆頭格に挙げられるのではないでしょうか。その他カレーやポテトサラダ、グラタンといった色々な料理や、ポテトチップスなどのスナックにまで利用されるじゃがいもは、日常に深く馴染んだ存在です。

 では、私たちはどのくらいじゃがいものことを知っているでしょうか?
 普段料理をする人であれば、品種毎の味わいや、煮込みに向いているかといったことには詳しいと思います。しかし、その品種がどこでどのようにして生まれ、日本の食卓で食べられるようになったのかまではあまり知らないのではないでしょうか。
 例えば男爵薯がどのように「男爵」と呼ばれるようになったのか、男爵になる前はなんと呼ばれていたかといったことは、皆さんご存知でしょうか。
 男爵薯のルーツについての知識は、さほど生活の役には立たないと思われるかもしれません。しかし、じゃがいもをさらにおいしい頂くための「隠し味」にはなる気がするのです。

 ということで、第三弾となるACADEMIJANの記事では、日本の食卓を支えるじゃがいもの代表格、男爵薯にまつわる出世物語をお送りします。

肉じゃが

「男爵薯」という名前の由来

 今から113年前の1908年のこと。北海道の函館で造船所の専務として働くかたわら、農場を経営していた川田龍吉男爵は、イングランドのサットン商会からいくつかの品種のじゃがいもを取り寄せました。
 そしてある時、川田男爵の農場で働いていた主婦の成田キンは、農場の管理人だった安田久蔵から「良いいもだから」と勧められて、取り寄せたじゃがいもの一つをゆずり受けます。
 そのじゃがいもは、彼女の手から農家であった夫の成田仁太郎と息子の惣次郎に渡り、その評判の良さから近所の農家へと人づてに広がっていきました。
 こうやって、地域の農家によって見出されて普及していったこのじゃがいもですが、なんという名前の品種であったのか川田男爵自身も分からなくなってしまっていたため、輸入した川田男爵に因んで「男爵薯」と呼ばれるようになりました。

 そして、1928年、北海道農事試験場によって男爵薯が北海道の一部地域における優良品種に指定されました。これをきっかけに、地域で定着したこの名前が正式な品種名として扱われるようになったのです。

男爵薯の正体

 輸入前になんと呼ばれていたのか不明だった男爵薯ですが、優良品種とされてから5年後の1933年、北海道農事試験場の調査によって品種名が判明します。 
 その名はアメリカ産の“Irish Cobbler”、日本語訳すると「アイルランド人の靴直し屋」でした。

 変わった名前ですがどのような由来があるのでしょうか?
 アメリカで靴屋を営んでいたアイルランドからの移民が、“Early Rose”というじゃがいもの変異体として栽培していたためこの名前が付けられたという説が以前はありました。しかし、後の遺伝子解析によって“Early Rose”の変異体説は否定されたため、名前の由来は不明となっています。
 なお、男爵薯の正体については、現在では、偶発的に生まれた雑種由来のじゃがいもではないかと言われています。

 つまり、日本で男爵という貴族の位を手に入れたこのじゃがいもは、実はどこで生まれたか分からないじゃがいもであったと言えます。

日本で出世したじゃがいも「男爵薯」

 いずこかで生まれた雑種の味が濃くてほくほくした名無しのじゃがいもは、アメリカで見出され「靴直し屋」と名前を与えられ、生育期間が短く長期保存に適している優れた品種として世界各地に輸出されました。
 その際、川田男爵の手によって日本にも辿り着きますが、アメリカでの名前は忘れられてしまいます。
 しかし、農家の目利きによって北海道に広まり、ひょんなことから「男爵」という位を与えられて貴族になりました。

 さらに、男爵薯の出世物語はここで終わりません。
 1931年に北海道全ての地域における優良品種に指定されてから、男爵薯の作付面積は大きく広がり、農林水産省がWEB上で公開している1980年から2017年までの記録において、男爵薯は作付面積1位のじゃがいもの座をずっと維持しているのです。
 日本に根付き、広く作られているという観点では、男爵薯は日本じゃがいも界の「王様」といっても過言ではありません。

 雑種としてどこかで生まれた名無しのじゃがいもがアメリカで靴直し屋となり、世界を渡る中で日本に辿り着き、男爵を経て王様になる。人間に置き換えたら、これは立派な出世物語と呼べるのではないでしょうか?

発見

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男爵薯の花(上川農試)


 ここまで、男爵薯の名前の由来や日本への普及について出世物語として振り返ってきましたが、最後に男爵薯と品種改良の関係について述べたいと思います。

 じゃがいもは、スーパーなどで品種名を出して売られていることが多いため、たくさんの種類があることは皆さんご存知かと思います。では、何種類位のじゃがいもがあるかというと、農林水産省の所属機関や指定試験地で育成され、農林番号を付けられた品種のみで60種類を超えています。

 このように多様な品種を生み出しているじゃがいもの品種改良において、男爵薯は初期から活躍しており、農林番号付の品種として最も古い農林1号の母であることをはじめとして、多くの日本のじゃがいもには男爵薯の血が流れています。
 男爵薯は家庭の食卓で愛されているだけではなく、品種改良という専門家が取り組む「研究の世界」にも、大きな影響を与えているのです。

 ここで、男爵薯を見出したのがどんな人たちだったかもう一度振り返りましょう。

 男爵薯を海外から日本に取り入れた川田男爵は、函館ドックという船を造る会社の経営者でした。
 その後、男爵薯の素晴らしい特徴を最初に見出し、広めていったのは、安田久蔵や成田家といった、北海道南方の七飯でじゃがいもを作っていた農家たちでした。

 この事実は、品種改良という研究の世界の根っこに、研究とは違った世界を生きた人たちの発見が息づいていることを示しています。

 結びに、「男爵薯」のもう一つの別名をお伝えします。
 その別名は“eureka(ユーリカ、エウレカ)”。日本語に訳すと「発見」です。

 ACADEMIJANが送るじゃがいも出世物語、最後まで読んでいただきありがとうございました。

ミニコラム~じゃがいもの優良品種が生まれるまで~

主要11品種

北海道の主要11品種の塊茎(日本いも類研究会)


 農林番号を付けられた品種が60種類以上生み出されていると触れましたが、このコラムでは実際にどのようにじゃがいもの品種が開発されているのか紹介します。

 じゃがいもの品種開発は、150通りの組み合わせで交配したじゃがいもの果実から、合計300,000粒程の種子を採取することから始まります。
 その後50,000粒の種子を実際に栽培し、優れた性質を持っている可能性がある「個体」を1株にき1個体ずつ選別するのですが、第一次選抜では12,000個体、第二次選抜では800個体まで選抜をします。
 800個体まで選抜されたじゃがいもは1株10個体まで増やされ、「系統」として選抜が行われます。この系統の選抜では800系統の中から60系統が選抜されます。
 その後、この60系統が様々な検定により選抜されていき、優良品種として認められる特性を備えた個体を見極めていきます。
 最終的に必ず優良品種が見つかるわけではなく、1系統でも優良品種が残れば大成功と言われるのがじゃがいもの品種改良のです。

 では、ここまで述べた優良品種の決定までに何年かかるのかというと、12年もかかります。

 12年かけて1種類の優良品種が見つかれば大成功とされる。じゃがいもの品種改良はとても地道な、長年の積み重ねによって営まれてきた研究といえそうです。


【参考文献】
・日本いも類研究会 2016: 「男爵薯」, じゃがいも品種詳説, https://www.jrt.gr.jp/var/danshaku.html (2021/5/31閲覧).
・日本いも類研究会: 「ジャガイモ品種「男爵薯」(DANSYAKU-IMO) Irish Cobbler」, じゃがいも博物館, https://potato-museum.jrt.gr.jp/dansya.html (2021/5/31閲覧).
・日本いも類研究会: 「川田男爵」, じゃがいも博物館, https://potato-museum.jrt.gr.jp/e007.html (2021/5/31閲覧).
・西尾敏彦 2008: 「新・日本の農を拓いた先人たち (12) 多収で広域適応性に富む、誕生100年を迎えたジャガイモ「男爵」とその育成者たち」, 『農業共済新聞』2008年12月2週号.
・農林水産省: 「いも・でん粉に関する資料(平成25年度 - 令和元年度)」, https://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/imo/siryou.html (2021/5/31閲覧).
・地方独立行政法人北海道立総合研究機構農業研究本部: 「ばれいしょ新品種が育成されるまで」, https://www.hro.or.jp/list/agricultural/research/kitami/sosiki/bareisho/bareisho2.htm (2021/5/31閲覧).
※上記の他に、「農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター アグリナレッジ」を馬鈴薯の品種を調べるデータベースとして活用しました。


(執筆:松橋裕太)

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