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「子どもは自ら育つ」にたどり着くまで

「自分で考え、決定させる子育て」などど、かっこいいことを書いたが、何もはじめから私もそのような考えに至ったわけではない。正直に言うと、紹介した詩や本も、子育てが上手くいかなくて、もがき苦しんだ上に手を伸ばして見つけたもの。今回はお恥ずかしいところも含めて、私の子育て歴を振り返ってみる。


「子育ては一番向いていない仕事かも」と宣言した私

今でこそ、「私はこんな風に子育てしてきました」とサラリと言えるけれど、ここに至るスタートは「自分が子育てに向いていない」と白旗を挙げたところから始まっている。

「二人目は育てやすいよ」と周りから聞いていたのに、私は次男の育児に悪戦苦闘していた。「寝ない」「泣き止まない」の繰り返しで、手に負えない次男を前に心身が崩壊寸前だった。中でも一番きつかったのが3歳終わりまで続いた夜泣き。私は連続して2時間しか寝てはいけない、という苦行を毎晩強いられていた。

せめて昼寝でも、と思うのだが、昼間は幼稚園に通う長男の送り迎えや公園遊びなどで忙しい。「次男が寝ているときに一緒に寝れば」とアドバイスをされたが、次男は私が抱っこかおんぶをしていないと寝てくれない。昼寝した、と思ってベビーベッドに降ろそうものなら、すぐに目を覚ます。

肩や背中はガチガチに凝り、とにかく睡眠不足で思考もままならない。自分でもその頃の記憶がないほど、心身が衰弱していた。

「子どもを預けて昼寝すれば?」と今となっては思う。しかし、仕事もせずに専業主婦になっていた私は、幼稚園児の長男と次男の2人くらい育てられなくてどうする、と自分にプレッシャーをかけていたのだ。

今振り返ると、私は誰かに頼るということが極端に下手だった。大学を出て就職し、それなりに仕事は「できる人」だった自分。おそらく、子育てもひとつの「仕事」のように思っていたのだ。

そのため、子育てという「仕事」を自分がこなせないわけがない、と高をくくっていた。その証拠に「もうダメだ」と言って、次男を預けるようになったとき、気がつくと私は口にしていた。「私、育児が一番向いてない仕事かも」。

それを認めたときの敗北感。今思うと、なんと面倒くさい母親であろうか。仕事ができる女としての自信?それとも今まで何でもこなしてきたという実績?何にぶら下がっていたのか、自分でも笑えてくる。

私のように、「自分でなんとかできる」と考えてしまう頭でっかちのタイプは、子育て業界では使えない。私は次男の子育てで、それまでの傲慢な自分が完全に打ちのめされた。しかし、今となってはそれでよかったと思っている。

公園で出会ったママに完全ノックアウト

今でも忘れられないお母さんがいる。夫のいない休日に、子ども二人を連れて公園へ出かけたある日。相変わらずマイペースで、次男のことなど何も気に留めず勝手に一人で遊ぶ長男と、私のそばを離れない次男。

公園に出てきたものの、気分は晴れない。まとわりつく次男を身体から引き剥がしては砂場に放ち、次男がすぐに帰ってきてはイラつく、ということを繰り返していた。

私にしがみついていた次男の足元に、ボールが転がってきた。ボールが来た先を見てみると、小学校の高学年くらいのお兄ちゃんがこっちを見ている。

私は、次男に「お兄ちゃんにボール投げてあげて」と言ったが、人見知りの次男は動こうとしない。

仕方なく私はボールを拾って、お兄ちゃんに投げた。するとお兄ちゃんはボールを拾うとすぐに、次男に向かって転がした。固まる次男の足元に転がるボール。お兄ちゃんは言った「キックしてー」。次男は、恐る恐るボールを蹴る。「ナイスシュート」とお兄ちゃん。

と、そこへ、年齢の異なるちびっこ3人がわらわらと視界に入ってきた。3人は「僕も蹴る」といって、次男の後ろに並ぶ。そして、【お兄ちゃんがボールを転がす→子どもたちが順番にボールを蹴る】という遊びが始まった。

人見知りの次男が、あっという間に、4人の子どもたちに巻き込まれ、私から離れていった。会話を聴いて気づいた。彼らは4人兄弟だ。

その後、4人兄弟は、次男を巻き込みながら、シャボン玉、紙飛行機、鬼ごっこなど、途切れることなく遊び続けた。そして、途中で遊びに気づいた長男もいつの間にかその輪に入っていた。

年齢の異なる子どもたちが、色々な遊びを次々に繰り広げていく。「君これやって、僕これする」。簡単な会話だけなのに、子どもたちは互いにコミュニケーションを取り、スムーズに遊びを作り出していく。私から離れなかった次男も、周りに全然興味のない長男も自然と巻き込んで。そして、何より子どもたちが皆、生き生きとしていた。

子どもたちだけで作り上げた、見事なまでの一連のシーンのその奥に、にこやかに見守るお母さんがいた。私は完全にノックアウトされた。「こんな風に子育てがしたい!」。

正直に言うと、私はその場でお母さんを掴まえて「どうやったら、こんな風に育つんですか?」と聞きたかった。でも、さすがにそんな不躾なことはできず、私は「自分がなにか根本的に間違っているのではないか」という宿題を背負って帰路についた。

手当たり次第に子育て法を学ぶ

公園で見たあの風景は、「子育てが向いていない」と白旗を挙げた私の一つの目標になった。とは言え、一体何をどうすれば良いのかわからない。

はたと気づいた。私は子育てについて何も知らないのだ。中学、高校、大学と勉強してきたのに、子育てについては、一時間も授業がなかった。妊娠中に参加した母親学級も、出産の呼吸法とか、沐浴とか実用的なことばかり。

子どもとの日々も、離乳食やトイレトレーニングといった目先のことばかりに気を取られ、「子どもはどんな風に育っていくのか」「親は一体子どもの前でどんな風にあるべきなのか」、そういう子育てについての指針が私の中になかったのだ。

そこから、私は手当たり次第、色んな育児書や子育てブログなどを読み漁った。シュタイナーやモンテッソーリといった教育法や、世界各国の子育て本、オリンピック選手を育てた親の話。そして、いわゆる子育て講座というものにも、たくさん参加した。カナダの「Nobody’s Perfect」、オーストラリアの「トリプルP 」、アメリカの「スターペアレンティング」などなど。

そして、もっと身近なお母さんたちの子育てが知りたい、と思い、自分が参加したことのある「親学習」という講座のファシリテーター(講座を進行していく係)になった。

子育て中なのに、子育て支援

親学習とは、参加者が主体になって子育てにまつわるさまざまなテーマについて話し合う講座。つまり、子育てについて毎回生きた話し合いがなされるのだ。

私は、ファシリテーターをしながら、たくさんのお母さんの話を聴いた。そして、自分も参加者と同じ目線で色々なことに共感し、気づきを得ていた。親学習のファシリテーターになったことで、私は子育て支援をしながら、自分も支援してもらえるという、とても幸せな経験をしてきた。

たどり着いた「子どもは自ら育つ」

あれもこれもと手当たり次第に子育てについて学び、日々、生きたお母さんの子育ての話に耳を傾ける。子育て支援に必要な、発達や児童心理、傾聴などを学ぶ「認定子育てアドバイザー」の資格も取った。

「自分は子育てに向いていない」と自覚したあの日と、公園で出会った、美しい親子を出発点に、私は「子育てマニア」と呼べる所まで来た。

私が、ここまで子育てについて、色々と学び、知りたいと思ったのは、便利な子育てマニュアルが欲しかったからではない。

私が知りたかったのは、子育ての「真髄」みたいなもの。あの日公園で見た親子に当たり前のように漂っていた、「親子の風景のベースにあるもの」が知りたかった。

そしてたどり着いたのが「子どもは自ら育つ」ということ。それは、自然の摂理のようなもので、どんな時代も、どんな国でも、どんな子どもでも、変わらない。

ずいぶん遠回りして、時間も労力もかかったが、「自分のもの」として腑に落ちた。それからはやっと見つけた子育ての軸をベースに、私の子育ての仕切り直しが始まった。

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