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【書評】読書のススメ_『自分のアタマで考えよう』

『自分のアタマで考えよう』 ちきりん

12月も半ばを迎え、いよいよ受験生は試験本番を意識する時期になってきました。
教室でも過去問を解いている姿をよく見るようになりました。
大学受験でも高校受験でも「データを読み解く問題」というのは定番です。

円グラフとか棒グラフとか散布図とか、あるいは理科実験の結果を記録した表なんかを読み取って、設問に答えていくというものなのですが、これが苦手な生徒が多いです。

まぁ確かに図や表が散りばめられた問題というのは一見とても難しそうに見えます。
ただ、誤解を恐れず大袈裟に言えば、これらの問題はこけおどしのことが多くて、要求される知識量はむしろ普通の問題に比べて少ないことが多いです。

なのに解けない生徒が多い。これはどういうことでしょうか?
僕はここに勉強が苦手な生徒が抱えている大きな誤解と、勉強が得意になるためのヒントが隠されているように思えます。

「習ってないからできません」

一体どういうことかと言うと、勉強が苦手な生徒というのは問題ごとに「解き方」というものが用意されていて、それを教わって、その通りに解くものだと思っているということです。

確かに思い返してみれば、学校にしろ塾にしろ一般的な授業というものは先生がまず問題とその解き方を提示して、生徒がそれを真似して解いてみるという形式のものが多いことに気が付きます。

だからそういった生徒は初めて見る問題や、未習単元の問題を見ると

「まだ習ってないからできません」

という言葉をよく口にします。

「やり方がわかりません」

とも。

ここに大きな誤解があります。
問題の解き方なんて自由だし、教科書に書いてある方法なんてその一例に過ぎないし、そもそも「習っていない」ことは「できない」ことの理由にはなっていません。

こういう誤解をしてしまっている生徒は「データを読み解く問題」にめっぽう弱い傾向があります。習ってないからです。
(入試の出題者も、初めて見る問題に対しての思考力がみたいワケですから)

「フツーに考える」ができない

これは非常にもったいないことで、僕は日頃の指導でこういう生徒を見ると唇をかみしめてもだえ苦しんでいるのですが、一人で悶えるのは辛いので、どれぐらいもったいないことか頑張ってお伝えしてみようと思います。

前にご紹介した本に新井紀子さんの『AI vs 教科書が読めないこどもたち』という本がありました(多分)。

この本です。

この本に書かれている調査に興味深いものがあります。
それがこちらの問題。
是非答えを考えてみて下さい。

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正解は②なのですが、なんと正答率は
中学生:12%
高校生:28%

だそうです。衝撃です。本文にも『衝撃的な数字』と書かれています。

そしてさらに驚くのが誤答した生徒の多くが④を選択していたということです。
この異常性をお分かり頂けるでしょうか?

④のグラフを見ると、ドミニカ共和国とベネズエラだけで全体の半数以上を占めているということになります。アメリカのメジャーリーグですよ?
そんなワケないじゃないですか。
もうドミニカ・ベネズエラリーグじゃないですか。

百歩譲ってメジャーリーグがアメリカのリーグであることを知らなかったと仮定しても、アメリカが人口的にも経済的にも世界屈指の大国であることは常識です。
フツーに考えれば、優秀な選手だけが生き残れるプロスポーツであればアメリカの選手が他国よりも(少なくともドミニカ共和国やベネズエラよりも)多くなるのは当然です。

この問題に対するたいそうな解法など知らなくても、フツーに考えれば④は切り捨てるはずの選択肢なんです。


日常感覚と切り離された学習

これが僕が密かに恐れおののいている「フツーに考えることができない」という現象です。
今更ですが「フツーに考える」というのは、煽りたいわけでもバカにしたいワケでもなくて「日常感覚とかけ離れているよね」という意味です。

だいたいの問題というのはよくできていて
1本3000円の鉛筆もないし
太郎君の家と学校が400km離れているなんてこともないし
実験で水を1トン使うなんてこともないワケです。

しかし先ほどの問題で8割近くの中高生が選んだ選択肢は上のように日常感覚とはかけ離れたものです。

何が言いたいかというと、彼ら・彼女らは能力が低いのではなく「日常感覚」という人生で一番長く育ててきて、一番多くの知識が詰まっているであろうハコを勉強(または問題解決)に使うことができていないということです。

そして「勉強」や「問題」をある種特別なものとして捉え、そこに自分が住んでいる世界の理(ことわり)とは全く別の「解き方」なるものが用意されていて、それが宝箱にしまわれた「正解」を取り出すための唯一の鍵だと思い込んでしまっています。

さらにそれ故に、異常な結論を受け入れてしまっているということです。

未知の世界を楽しむ力を

なんだか脅しのようなことを書いてしまいましたが。
僕が「もったいない」と表現しているのは「拾える点数を落としてしまっている」という狭い意味ではありません。
文章でも図表でも、何かの情報を目にした時に

「ん?これはどういうことだろう?」

と考え、想像してみる楽しさ。

「まぁこれは想像通りだな。普通そうだろうな」

とか

「えっ!?マジ!?」

とか。

例えば今回のコロナ禍で、ワイドショーでは膨大なデータが提示されていたと思います。
それらのデータは自然な感覚で思考し、想像すれば、自分たちの身を守る有効な情報となりました。
ですがひとたび「自然な感覚」から離れ「よくよく考えればなんでだかわからない結論」が独り歩きしたら、瞬く間に世間がパニックに陥ってしまうというシーンを我々は何度も目にしてきました。
「コロナは特別」とかではなく、これからの社会は急激な変化が当たり前になります。
その場面場面において、自分の自然な感覚とは切り離されたところで思考し、落ち着いて考えてみれば異常だと思うような結論を受け入れるのでは、変化する社会を楽しめないのではないかと思うのです。むしろそれに振り回されてしまうのではないかと。
そういう意味で「もったいない」という言葉を使っています。

さて、いつも通り本を紹介することを忘れて文字数を見て青ざめているのですが。

繰り返し述べてきた通り、勉強と日常感覚は別々のところに存在するワケではありません。そしてニュースなどで見聞きする情報もまた然りです。
この本の副題は『知識にだまされない思考の技術』となっていますが、まさに。
目から鱗が落ちるほど鮮やかな解法を示し、ドヤ顔を決め込んでいる僕のような胡散臭い塾講師が発する知識にだまされてはいけません。

僕たち塾講師という人種は
「こうすれば問題が解けるよ」
「ほら、僕の言う通りにやってごらん」
という甘美な言葉で生徒たちを誘惑し、少しずつ少しずつ、生徒たちの自然な感覚を麻痺させ、「勉強」と「日常感覚」を切り離していくことにかけては世界屈指の技術を誇っています。

くれぐれも、自分がこれまでの人生で培ってきた「自然な感覚」を大事にして下さい。
どんなイカツイ情報にも屈してはいけません。
そうすれば、いかに激流の時代といえど、それはきっと楽しいものだと思います。
この本がそんな感覚を思い出させてくれるきっかけになってくれるとかくれないとか。

<了>

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