見出し画像

「自由」ということ

こんにちは。ACのあおです。

今回は、私が思う「自由」について、棚卸し、分かち合いをしたいと思います。

分かち合いを進めていくにつれて、これが本当の「自由」の感覚なのかと思えるようになりました。「自由」は、外側から与えられるものではなく、自分の内側から湧き上がってくる感覚なのだなと思います。

これは言葉ではうまく伝えられるものではないかもしれません。そして、これはミーティングに行き始めて、分かち合いを進めていくにつれて増していく感覚でした。

ミーティングでは、「言いっ放し、聞きっぱなし」が原則です。相手の話を批判しないで最後まで聞きます。仲間が言ったことに対して、コメントをしたり、批判したりはしません。私が言ったことに対して、仲間は静かに私の言葉に耳を傾けてくれます。そうやって、自分が言ったことに対して、無言の承認が与えられてくるにつれて、私はだんだんと自分という感覚を取り戻しているような気がしています。そして、仲間の言うことに耳を傾けることで、私も、ほかの人をそのまま受け入れられるように、少しずつなっていっている気がしています。

ハンドブックにそういった効果が書いてありますが、自分には無縁だと思っていました。しかし、実際に分かち合いを進めるにつれて、私にも解決に結びつくような感覚が得られていっています。

私はまだ回復の途中です。回復が増してくるにつれて、自由の感覚がもっと広がるのかなと思います。

ある人が、ハイヤーパワーについて、神様は「あなたが〜だから、こうしなさい」とか、「〜だから、〜しなければならない」ということは言わないと思う。

私が、「〜したい」と言ったこと思ったことを、尊重してくれると言っていました。

「自由」は、組織や、人や、ほかの人から与えられるものではなく、まずは「自分」の中に「自由の感覚」を取り戻すことが大切なのかなと思います。

確かに、私はこれまで、「私は〜だから、〜だ」とか「〜だから、〜しなければならない」「〜だから、〜できない」と思っていました。自分で自分を不自由にしていました。自分で強迫的行動を進んで取っていました。そうすることで、自分を守っていたからです。それは、典型的なACの特徴でした。ACの問題は、私自身を守ってくれる砦でしたが、同時に、私自身を閉じ込める牢獄のような存在です。ですから、自分が設定したルールや、親や、組織などから言われたことから外れた行動をとると、恐れが出て、嗜癖的な行動を取って紛らわせてしまいます。

しかし、最近ではだんだんとそうした感覚が薄れてきています。まず、そうした考え方をしているなと気付けるようになりました。

回復は、緩やかに進んでいっています。気付くのは突然なんですが、回復はゆっくりです。

これからも、自分の感情と向き合って回復へと進んでいきたいです。

読んでくださってありがとうございました。

今日一日、神様の祝福と恵みが皆さんの上に豊かにありますように。

ACのあお

サポートは全てミーティングの献金へ当てさせていただきます。 ACや依存症の問題で苦しんでいる仲間の為にも、サポートをよろしくお願いいたします。