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60年代、流行った洋楽。26

『70年代、流行った洋楽』の60年代版です。
60年代の初頭は、私自身がまだ少年時代。音楽に目覚める以前のことでした。そのうち、ラジオのAM放送やテレビなどから流れる音楽に意識が向くようになりました。そんななか、記憶に残る曲にもめぐり逢いました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけでなく、半世紀よりもさらに前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

60年代にはこんなことがありました。


シェリー/フォー・シーズンズ
Sherry/The Four Seasons - (Official Audio)(1962年)

 60年代、ビートルズやローリング・ストーンズを代表とする、ブリティッシュ・インベイジョンがアメリカの音楽シーンを席巻している時にも、ビーチボーイズと並んで圧倒的な人気を博したという彼らの音楽。

 前者が西海岸を拠点に、後者が東海岸ということで、お互いにない要素で補完し合う関係であったともいわれます。

 これには、伏線があり、50年代のアメリカ音楽が、イギリスの若者音楽に大きな影響を与えたことに淵源があったということを今回知りました。米英、互いに影響し合う関係なんですね。

フォー・シーズンズ (The Four Seasons) は、アメリカ合衆国の、1960年代中期に世界規模で成功したブルー・アイド・ソウル(つまり白人が演奏した60年代の黒人音楽)ロックポップス・グループ。アメリカでブリティッシュ・インベイジョンの前後最中を通して人気のあったグループはビーチボーイズとフォー・シーズンズのみと評されている。

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サニー/ボビー・へブ 
Sunny/Bobby Hebb(1966年)

 この曲にも記憶があります。サニーという女性が恋人で、文字通り太陽のような存在であるという幸せな歌ですね。気になるのは、歌詞の明るいニュアンスに対してメロディーにすこし陰を感じるところです。

 この曲を1963年にボビー・へブが書いた経緯については、ケネディ大統領暗殺の翌日にナイトクラブで殺された彼の兄ハロルドを偲んで作られたという話があります。しかし本人は兄の死はこの歌に直接影響はしていないと言ったそうです。

世の中を暗くさせたケネディの死に彼の大切な兄の死が重なった辛い時に、自分の中にある明るい面を望む気持ちは彼にとって切実だったはずで、そういうパーソナルな思いが、やはりこの曲を生み出すきっかけだったように僕には思えます。
それを考えると、悲しげな曲調にポジティヴな歌詞を乗せたことの”切実さ”がいっそう増して伝わってくるようと思うのです。

まいにちポップス(My Niche Pops)


悲しき街角/デル・シャノン
Runaway/Del Shannon(1961年)

 この曲もよく流行りましたね。といっても、リアルタイムで聞いたのかどうか自信はありませんが。たぶん近所のお兄さんやおねえさんは夢中で聞いたか分かりませんが。

 そんな状況に影響を受けて自分でも分からないうちに、はまっていたのかもしれません。昭和で言えば36年のことですものね。

「悲しき街角」(かなしきまちかど、英語: Runaway)は、デル・シャノンが1961年2月に発表したシングル。ファルセットや短調から長調への転調を特徴とし、同年4月から4週連続全米一位を記録した。
日本では、飯田久彦(1961年)と、柳ジョージ(1983年)がそれぞれ日本語に訳詞され、シングルとして発表された。

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※Alexandre さんの画像をお借りしました。

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