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『人間の建設』No.32 美的感動について №2〈ゴッホ〉
岡 ゴッホの手紙はいつ読んでもおもしろいですね。
小林 おもしろいですよ。絵かきはいったいに文章がまずいのですよ。立派な文章を書いているのはドガとかミレーです。ゴーギャンはしゃれているだけで、つまらんですね。しかしゴッホは絵も文章も両方うまいです……。
岡 ゴッホのもので無条件にいいと言えるのは、むしろ、パリへ出て行って色の使い方を覚える前のものではあるまいかと、思わないこともありません。
小林 あなたもそうお思いになったことがあるのですか。
岡 ええ。思い切っては言えませんが。
以前、母から額装の古い複製画をもらいました。今自分の部屋の壁にかけているのがそれです。この絵、一般には「ラ・クローの収穫風景」と呼ばれ、ゴッホのアルル時代にかかれました。
ゴッホ自身が自作品の中で最も良い作品だと言っていたとか。彼の絵では、わたしはこれをもっとも好みます。ゴッホの手紙は読んだことがなく、オランダ時代の絵を見たことも。機会があればトライしてみます。
複製画ということに関して、上の会話の前段で小林さんはつぎのように言っています。
小林 ……私はゴッホのことを書いたことがありますが、ゴッホを書いた動機というものは、複製なんですよ。その複製を見て、感動して書いたのです。その後、ゴッホの生誕100年祭でアムステルダムへ行きまして、その原画を見たのです。ところが感動しないのですね。……複製の方が作品として出来がいいのですよ。このごろ真贋問題とかで世の中が騒ぎますが、てんで見当が違うことだと思いますね……。
岡さんもそれにこたえて「そうですね。原画であろうとなかろうと、動機なしに感動するということはできない。……必ずはっきりしたものがあって感動する」と肯っています。
なるほど、当時から60年ほども未来の、現代社会を見通していたかどうかわかりませんが、二人のうがった見方ですね。絵に対する複製や写真、画像データ。抽象画などは別として、そもそも絵というのは、本物の自然の複製といえば言えますね。
音楽や舞台芸術なども似たことかもしれません。CDを聴いたり、YouTubeなどを見ることから、さらには仮想やバーチャルを孕むようなものまでを我々は見たり聴いたりして、やすやすと軽々と感動させられますものね。
――つづく――
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※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。
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