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70年代、流行った洋楽。12

当時、FM放送の開局を追うようにはじまった『ポップス・ベスト10』などの番組で毎日のように聴いていた洋楽。自然とおぼえて口ずさんだりしていました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけではなく、半世紀も前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

70年代にはこんなことがありました。


グッバイ・イエロー・ブリック・ロード/エルトン・ジョン
Goodbye Yellow Brick Road Lyrics/Elton John - (1973年)

 聴く人の数だけ、心の思いがある。聴く人の心の数だけ、心のドラマもある。聴く人のドラマの数だけ、心の世界がある。いいんだ、きみはきみのままで。
 二人の心の距離と、空と海の間の距離は似ている。遠いようで、こんなに近いんだ。 ムリをすることも、むだになることも何もないんだ。信じて、その通りに思いを伝えよう。
 帰り着くところは〈場所〉なのではなく〈ひと〉なのだから。

グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(Goodbye Yellow Brick Road) は、1973年に発表されたエルトン・ジョンの楽曲。 アルバム『黄昏のレンガ路』の表題作である。 全米シングルチャートで2位、全英シングルチャートでは4位を記録した。 作曲はエルトン・ジョン、作詞はバーニー・トーピンが務める。
(ウィキペディア)


魔法/ルー・クリスティ
She Sold Me Magic/Lou Christie(1970年)

 高音部のファルセットボイスが印象的な、ルー・クリスティの楽曲。60年代から活躍し、この曲のヒット当時27歳。曲の内容については、歌詞の和訳を見ると、女の子との恋に落ちいっていくのを、魔法にかけられたことになぞらえているんですね。
 魔法じゃ、むりもない、あらがいようがない運命だ。絹の手袋でからめるように、真綿で首絵を締めるように。でもなすすべはない。魔法を買ってしまった。あとは、運を天にまかせよう。
 彼女はそれほどに魅力的なのだから、ですか。

ルー・クリスティは、1943年生まれのイタリア・ポーランド系のアメリカのシンガー・ソングライター。
「ファルセット・キング」と呼ばれ、4オクターブの声域を持ち、「Lightnin' Strikes」(1966年ビルボードチャート第1位)を始め、60年代に数々のヒット曲に恵まれ、新しいティーン・アイドルとして、また優れたソングライターとして、ポップ・スターの道を歩みます。
(音楽温故知新)


メタル・グルー/T.レックス
Metal Guru/T. Rex(1972年)

 マーク・ボランは、「メタル・グルー」を宗教的なものではなく、ありとあらゆる神的なものと言っているそうですが……。
 "METAL"は、金属、レール、気性、ヘビーメタル(名詞)。金属製の、金属で作られた(形容詞)。”GURU”とは、(ヒンズー教の)導師、グル、教祖、教師、権威者、リーダーなど。(以上英辞郎)
 このような言葉は、西洋人にはピンとくるかもしれませんが、我々日本人にはなかなか難しい領域かもしれません。

「メタル・グルー」(“Metal Guru”)は、イギリスのロック・バンドT・レックスの楽曲。作曲はマーク・ボラン。バンドはこのシングルで4回目(最後)の全英シングルチャート1位を獲得し、1972年5月から6月にかけ4週の首位を維持した。1972年のアルバム『ザ・スライダー』に収録されている。『ゲット・イット・オン』成功からわずか10か月しか経過していなかったが米国のチャートでは振るわなかった。カナダでは1972年7月に45位に入った。
(ウィキペディア)



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