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『人間の建設』No.38 無明の達人 №2〈わからないということがわかる〉

小林 ……僕ら日本人は、何でもわかるような気でいますが、実はわからないということを、この頃つよく感じるのですよ。自分にわかるものは、実に少ないものではないかと思っています。
岡 小林さんにおわかかりになるのは、日本的なものだと思います。
小林 この頃そう感じてきました。
岡 それでよいのだと思います。仕方がないということではなく、それでいいのだと思います。外国のものはあるところから先はどうしてもわからないものがあります。

小林秀雄・岡潔著『人間の建設』

 この前段で小林さんが次のように言いました。そこから引用の部分につづきます。

「ピカソにはスペインの、ぼくらにはわからない、なんというか、狂暴な、血なまぐさいような血筋がありますね。ぼくはピカソについて書きましたときに、そこを書けなくて略したのです」。

 小林さんは截然と言い切ります。「自分にわかるものは、実にに少ない」。こういうところが小林さんの偉いところだと思います。

 われわれは小林さんの言うとおり、何となく何でも分かったように思い、そういう顔でいます。ところが、実際にわかっていること、分かることは本当は少ないのでしょうね。

 よくよく吟味すれば、知で解ける、意もわかる、けれども情を抱けない。あるいは、情では納得できるが、知や意では解けないしわからない。たいてい何事にもそんな掴みきれないもどかし気なところがあるのではないか……。

 でも、だから面白いというか、興味が尽きないわけではないか。簡単に分かってしまうような薄くて簡単なものごとはそれだけのものごとでしょうからね。わからないということがわかるのは大切です。


‐―つづく――




※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。


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