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味覚と記憶

27歳というと、アラサーや若者卒業などの言葉を浴びる。正直、ボクはそんなのは気にしないし、何才でも何でも出来るだろの反骨精神が漏れがちだ。

でも、このアラサーという期間で老いて、若者から大人になることは間違い無いと思う。

ここ数年で、父方の祖母と叔母が亡くなった。父は言葉にこそ出さないが落ち込んでいた、特に実の姉が亡くなったのが決め手だったようだ。そんな父が心配だった。そして、心配する自分を成長したなと老いを感じた。

もちろん叔母の死はボクも悲しかった。祖母は90才間近で病気もしていたし、ある程度の心の準備は出来ていた。けど叔母さんは違う、60代だった。癌という話は聞いていたけど、手術も成功したとも聞いていた。最後に会ったのは、祖母のお葬式だ。実の母に心配をかけてはいけないと、ずっと癌を隠していた。その半年後、叔母も亡くなった。

彼女はいつも酔うと、ご機嫌で愉快。美味い飯と軽快なトークで場を盛り上げていてくれた。特に、彼女のローストビーフは絶品でレストランの味にも負けない味。皆んなが好物だった。

亡くなって1年半くらい。あのローストビーフが恋しい。似たものや、美味いローストビーフはたくさんある。けど、叔母特製と全く同じものは食べれない。その事実が、彼女の死をリアルにさせる。もう食べれない、会えない。

もうアラサー、幸いボクの両親は元気にしている。けど、いつの日か母の手料理が食べれなくなる。普通に使ってきたお袋の味という言葉、ボクにとってのお袋の味は何だろう。

今思えば母のおせち料理は当たり前だが、数年後数十年後食べれなくなっているかもしれない。そう思うと、今年のおせちは特に沁みた。年取ってきておせち料理の良さが分かってきただけかもしれないが。

人間の感覚の基となる五感。料理は味覚、視覚、嗅覚を使う。生きる中では当たり前で、食べるたびにその三つの感覚を意識する人は少ないだろう。

けど、ふとした香りから、味付けから、食べ物の写真を見て、、思い出すことがある。それは故人、悲しいこと。給食の味、甘酸っぱい青春、経験と食は結ばれている。

人体って不思議だ。てか、よく出来ているなぁ。27歳になって人間の当たり前に驚く。

今じゃ当たり前の母の料理。叔母を思い出して、母の料理に舌鼓を打つ。いつの日か、母の料理と似た料理を見て、嗅いで食べて、母の声を思い出して泣く日が来るのかもしれない。

たかが飯、されどご飯。この瞬間を忘れずに味わおうと思った、母のイカと里芋が美味いなぁと思った今晩、ほろ酔いなボク。

「思い出すことこそ、故人への一番の行動」

昔、先輩が亡くなった時に気付いた事。

今は、脳を鋭利に働かせて日常を刷り込んで大事にしよう。そして、母の味を覚えておこう。いつか、自分で再現して懐かしく思い出せるように。


これは、家族の話であり、ボクと関わりのある友人全てに当てはまる。アナタは料理が好きですか?視覚嗅覚味覚に長けた料理をしませんか?残すかもしれない大切な人たちのためにも。

トップ画はボクの得意なBBQソースのチキン。皆んなとキャンプ行って記憶に残したいなぁ。平和な日常が再訪するのはいつだろう。

美味いもん皆んなで食いたいだけなのに、叶わないなんて。普通なんて脆いね。

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