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40年後のレビュー

40年近く前、ネパールで出会ったあゆみちゃんが、『一三分間、死んで戻ってきました』の感想を送ってくれました。

私信ですが、許可を得て、転載します。

本読んだ〜

いい本だった。 

まだ二十歳代の頃、せんせの紡ぎ出す言葉を破壊したくなる衝動を思ったよ。

せんせは美しい物語のつくり手だね。

還暦の年の私は充分に受け取れるようになった気がする。

そして、私も生きるのが面白くなってきたよ。じきに終わるんだろうけどね。

うまく言えないや。いつか会えたら喋れそう(笑)

とにかくせんせが死に損なったのに善く活きているので嬉しい。

(引用終わり)

ネパールで出会ったとき、20歳の美大生だったあゆみちゃんは、いつもスケッチブックを持っていて、風景や人物をスケッチしていた。

正確なデッサンだった!

つまり、よくも悪くも美大生だったのだと、今思うのだ。

日本に帰国してからたまに封書がくると、便箋ではなく、スケッチブックの丸穴を破ったあとのある紙に絵と言葉が描いてあり、なぜ便箋でないのか?と、その時は思ったが、

アレは言葉も含めて絵だったのだ!

と、今思うのだ。

ポカラのペワ湖に浮かんだカヌーの上、自家製のオカリナで吹いてくれたアンデスの曲は心身脱落した。

彼女の絵も音楽も僕には届かないところを舞っていた。

僕が言葉を使うと、彼女は、わからないと言った。

オリジナルの歌詞を歌うと、せんせの音楽はいつも理屈が付いてくるんだねと言った。

それが、ここでいう「まだ二十歳代の頃、せんせの紡ぎ出す言葉を破壊したくなる衝動を思ったよ」ではないか。

しかし、時は流れ、私たちは還暦を過ぎたり、迎えたりした。

そして私の言葉はやわらかい物語詩に成熟し

完璧なデッサンが可能なはずの彼女の創りだす作品は、自由な線で踊るのだ。

人生は4分の1も残ってないかもだが、死ぬまで創りつづけようぜ。w


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