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劇「壊れたジグソー」の想い出

前世紀の終わりごろ(笑)、アメリカの日本人学校での3年間の勤務から帰ってきたとき赴任した大阪の中学校でのことを、あるきっかけで思い出した。

文化祭でやった「こわれたジグソー」という学級劇を思い出した。

文化祭でやる劇を何にするか、候補の脚本を自分で書くか、既存のものを選ぶかして、夏休みの登校日に提出するようにと、生徒たちに言った。

クラスでリーダー的な女子数名が持ってきたのは、確か「ジグソーパズル」という既存の脚本だった。

彼女たちは、うちのクラスってバラバラやん。もっとひとつになるのが課題と思うねん。だから、この脚本を私たちは選んできた。と言った。

とはいえ、6月の体育祭ではクラス全員リレーで見事なバトンリレーで優勝したしー。

でも、言ってることはわかる。

担任のあびは、お祭り男にすぎない。

だから、体育祭も、修学旅行もめちゃ盛り上がったけど、日常に戻るとすぐにまたみんなバラバラになるのだ。

はいはい。それは私のせいでござんす。

しかし、あまり覚えていないけど、その脚本は僕には息苦しかった。

おぼろげな記憶では、脚本どおりにやると、学級というジグソーパズルは完成して終わるのだ。

「ちょっと書き換えてもいいかな?」

とお祭り男は言った。

こういう時だけ、納得を求めるのである。

先生のために文化祭があるんじゃないんだけど・・・・。(-_-;)

家でもいつも家族に言われていた。

ほらまた行事のときだけ、ちゃんと先生やってるやん。いつも、全然やる気ないのに。

だって、これは演劇だよ。演劇というのは舞台芸術だよ。納得いかないことしたら、アーチストの恥だよ。(え? 先生じゃなかった? アーチストなの??? (-_-;)

というわけで、僕が勝手に書き換えた脚本をホームルームで読み、多数が、まあ、それでええやんと言ったので、

その脚本ですることになった。

その脚本は段ボール箱のどこかにあるが、見つかったらまたアップするかもしれない。


今はあらすじだけ言うとですな、


主人公のOは、ある日道で39ピース(クラスの人数と同じ)のジクソーパズルを拾う。

ジクソーパズルが得意なOは、すぐにできると思ってやり始めるが、どうしても完成しない。

自習時間に皆に相談するが、皆で知恵を絞ってもピタリとはまらない。

ひとつの絵にならない。

これって、うちらのクラスに似てない?

みんな、てんで勝手な形してるから、はまりようがないねん。

これ、壊れてるんとちゃうん?

永遠にひとつの絵にならへんのちゃうん?


そこへ、ドロローンと悪魔が登場。

やり方を教える。

その絵はひとつにならなくてもいいのじゃ。

それぞれに合うもの同士のグループをつくれ。

そしてグループどうし、対立したままでええんや。

そうか、それでいいのか・・・となりかけたとき、Oが叫ぶ。

いやや!

俺は1000ピースでも10000ピースでもすべてのジクソーパズルを完成させてきた。

バラバラのまま対立したままで終わりなんていやや。


そこへ妙なる音楽とともに天使登場。(クラスのかわい子ちゃんのエンジェルコスチューム)

みんながわがままをやめて自分の形を変えればちゃんとはまるわよ。

ほら、このナイフで、余計なでっぱりを削って。

世の中で一番大切なのは、調和なのよ。

そこでクラスの「不良少女」(ごめーん。時効な。でも、個人的には僕は君がちょっと好きだった。これも時効。)が言う。

なんか、あんた、学校の先生みたいなこと言うなあ。やめてくれへん?


本番では、

この「なんか、あんた、学校の先生みたいなこと言うなあ」のところで、

体育館の保護者席が、最もどよめいたと感じた。

狙いどおりだよ。ふふふ。

天使も拒絶されて、さらに悩み続けるみんな。

そのときだ!

体育館の最後列から、叫ぶAとその仲間。


Aは、クラス劇をするということ自体が、気に入らず、そんなんせんでいいとか、

適当でいいとか、今日は練習出んと帰るとかを繰り返し、

練習日程中、もめにもめた生徒。

劇に協力的でない生徒と、
みんなの力を合わせてぶっちぎりに成功させたいと思っている生徒は何度も喧嘩し、ミーティングを繰り返し、

下校時間を違反して、暗くなるまで、泣きながら話すという青春ドラマが現実にあったんやけど。
(校則違反なんやけど、「かまへん。続けろ! 納得いくまで話せ!」と勝手に言う担任。「話し続けとけ!」と言って職員室まで駆け戻って、文句言いそうな生徒の親に順に電話して、「実はこうこうで、話し合いをしてまして。真っ暗になってしまったら、送ってまわりますので・・・・」「先生も大変ですなあ。わかりました」)


いつもそうやけど、劇をするとき、必ずその脚本と似たような状況がクラスに生じて、揉める。

現実と劇がシンクロする。

なぜ、いつもそれが起こるのか、わからないけど、それが起こらなかった年度はない!
宇宙はほんまにいたずらしてくれよるわ!


劇の続きに戻る。

体育館の後ろから

「俺らが助けにきたぞ!」とAは叫ぶ。

え、劇なんかどうでもええと言ってたのに、Aが助けにきた?

「そうか、わかったぞ!」

とOは叫ぶ。

「このジクソーのピースはどれもみな、そのままでいい。

だけど、パズルが完成する方法がひとつだけある。

このパズルの枠を壊してしまえばええんや!」

ぐええええええええ。

それを聞いて、苦しみ始める悪魔と天使。

それに気づかれたら、もうだめじゃああ。

苦しみもがいて、退散してしまう。


みんな、みんな来てくれー。

みんなが来てくれるだけでこのパズルは完成する。

そのままの姿でええから、

ここへこの舞台に来てくれー。

とOが叫ぶ!


と、Aはギターをもって、そのほか、照明や幕や、いろいろな役割をしていたすべてのメンバーが、持ち場を離れて、舞台の上へ行く。

あびもな。(お前もか!)(-_-;)

そして、文化祭直前の、
ほとんどクラスが空中分解しそうなほどのもめごとの続いた日々に、
夜中に、突然浮かんだ詞とメロディ、
泣きながら(先生まで泣くか!)、あびが作詞作曲した歌を全員で歌う。

ギター伴奏は一番、劇の取り組みに反発していたAだ。


その歌は、こわれたジクソーというんやけど、歌詞覚えてないな。

ちょっと探してみる。


わあ、脚本は見つからなかったけど、クラスの卒業文集が見つかって、その裏表紙に載ってた。


今から写すけど、その前にもうひとつ言わせてほしい。

この舞台の上にはクラス全員39人が乗ってみんなで歌を歌ったけど、

クラス39人とあびが揃ったのは、このとき、この舞台のラストシーンで一回だけ。

不登校の子もいたし、その子は、修学旅行も来なかった。卒業式も来なかった。

体育祭の全員リレー優勝といっても欠席者代走ひとり一回まで可というルールがあったから。

つまり、休みたい人は休んだらええと思っている自分勝手なあびが担任のこのクラスでは、クラス全員が揃ったのはこのときの舞台、一曲歌う間だけ。

この日も遅刻もあったし、早退したやつもいたからな。

でも、僕は不登校のMの家に「・・・ていう劇なんやけど、ラストシーンに間に合うように来てくれへん?」と言いにいった。

フォークソング部の練習にだけ来たりして、顧問だった僕とも話が通じていた彼女は

「ええわ。わかったわ」と言った。


そうやって歌ったのはこの歌です。

「こわれたジクソー」

できるだけ大きなサークルをつくろうよ

ひとりでも欠けちゃ だめだよ

どうして いくつも 分かれてしまうの

ひとつの大きな絵になれないの

make a circle

輪になって

we 're dancing

in the circle

納得できる形が いいね

だからって ひとりじゃ 決められない

何度ならべても 誰かがいやがる

だったら もう一度 並べなおそう

このパズル 

とけたら

あたらしい

世界が見える

くっつくつもりで となりへ近づいて

はねつけられて 傷ついて

それでも もう一度 心を開いて

泣いて 笑って もう一度

すてないで

やめないで

あきらめないで

顔をあげて

make a circle

輪になって

we 're dancing

in the circle

何度でも・・・・・


劇は大成功!

幕が閉じるとみんなで雄たけびを喚げた。

振り返ると・・・・

この劇の取り組みではどちらかというと

一体感を目指しすぎ。

ただし、それは一瞬で一度だけでもいいんだと思っていた。

そして、そのとおりになった。

ひとつになったのは、一瞬だけ。

一曲を歌う間だけ。

この娑婆ではね。(^_-)-☆

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