たった五分の反抗期
私は日本人の父とスペイン人の母の間に生まれたハーフです。父は仕事でスペインに来た際、通訳でサポートした母と恋仲になり結婚しました。
父の日本帰国とともに、私たち家族は日本に移り住み、日本で生まれた私はこの美しい島国で、父と母のたっぷりの愛に育まれて育ちました。
私はずっと父と母が大好きでした。母は私の父をとても愛していて、私にも「私の愛する人の子どもだから、マリアのこととても愛してるのよ」と言っていました。
この言葉は日本の方には少し奇異に聞こえるでしょうか?
今の日本にはシングルマザーも多いですよね。父親がどのような人であれ、とにかく私はこの子を育てぬくというシングルマザーの愛情は、とても強く美しいものだと感じさせられることが日本では多いです。
日本の女性って恋愛よりも、子どもへの母性の方が最終的には優先するんだという傾向が強いように感じるんです。
母の私への愛は、そんな日本人一般の母性とは少し姿の違うものだったのかもしれません。共通点も豊かですが、「私の愛する人の子どもだから」と伝えるところが一風変わった点だったと思います。
私の母は私に「私の愛する人の子どもだから愛している」と繰り返し伝えながら、幼いころから私を何度も何度も抱きすくめました。私は幸せでした。私は父も母も大好きでした。
そんな私も中学生の女の子になりました。学校のクラスの女子のほとんどは「お父さんって気持ち悪くない?」と話し合う習慣がありました。
「うん。キモイキモイ」
時には自分の父親に対して侮辱的な言葉を使う友人もいました。しかし、私はそのような会話にはついていけず、自分は違うなあと感じていました。
女子中学生だったときも私は父も母も大好きだったし、お父さんを嫌いだとか気持ち悪いと思ったことは一度もありませんでした。
中学生の頃、私は父が仕事から帰って食卓につくと、父に出す食事の仕上げや盛り付けをしている母に代わって、父のコップに最初の一杯のビールを注ぐ習慣がありました。
父は私に「今日は学校はどうだった? 楽しかったか?」などと話しかけ、私は色々なことを素直に話し、父と一緒に笑いました。
まもなくそこに食事の支度を仕上げた母も加わって、三人で楽しく食事しました。
ところがやっぱり、一日の大半を過ごす学校には、違う意見の友達がたくさんいました。
「お父さんって気持ち悪いよね」
「いやよね」
毎日毎日、雨のように降り注ぐその言葉を浴びながら、いつしか私は、もしかしたら自分がおかしいんだろうか?と考え始めるようになりました。
学校で一緒に過ごし、放課後も教室や公園やだれかの部屋で長い長い時間を一緒に過ごすのは、家族よりも友達です。その友達である同世代の女子の大半がお父さんは気持ち悪いと言い、反対意見を言う子はいませんでした。
私はだんだん自分がおかしいんだと考えざるをえなくなってきました。未熟だっただけに混乱してしまっていたのかもしれません。
ある夕方、私はとうとう、お父さんに心にもない態度をとってしまいました。
その日も「今日も学校は楽しかったか?」と父はいつものようにやさしく私に話しかけました。しかし、私はそんなお父さんを無視してしまったのです。
そしていつもは注ぐ一杯目のビールも注がず、黙って自分の部屋へ行きました。
ドアを閉める前に少し振り返った私は、父ががっくりと首をうなだれているのを見ました。
思春期の女子の多くには訪れるといわれている父親への反抗期。それが自分の娘にもついに来たのだと思ったのでしょう。
「ついに来たかー」という呟きが聞こえてくる気さえしました。
そのとき、私は心のどこかに痛みを感じていたはずです。しかし、学校での友達との会話を思い出しながら、おかしいのは父が大好きな私なのだと自分に言い聞かせました。
そして、ドアをわざとのようにバタンと音をたてて閉めました。私はドアを背に深呼吸して、これでいいのだと自分に言い聞かせていました。
その時です。ドアをコンコンとノックする音がしました。振り返ってドアを開けると、そこには恐い顔をしたお母さんが立っていました。
「ちょっと顔、貸しな!」母は日本語でそう言いました。
「顔、貸しな」なんていう日本語を母に言われたのは初めてでした。殴られるのかと思ったほどです。
ふだん、私の家での日常会話は日本語です。しかし、お母さんは怒るときには時々スペイン語まじりになりました。
でも、この時の母は、そのレベルさえももう一段階越えて、完全にキレていたことが後で振り返るとよくわかります。だからこそ、この時の母はすべてを日本語で伝えてきたのです。
「あんた、私の男になんていう態度をとったんだ!?」
母は「私の男」という言葉を使いました。
「あんたが産まれたのは、私の男のおかげ。あんたがご飯を食べて育ったのも、私の男のおかげ。あんたがなに不自由なく学校に通って勉強したり遊んだりできているのも、私の男のおかげだよ」
「その私の男にあんたはなんていう態度をとったんだ!?」
私には何も言い返すことができませんでした。ただ母の剣幕の底から伝わってくる怒りと悲しみに胸がいっぱいになってくるのを覚えました。
「あんたは、私の男をちゃんとリスペクトしなさい。それがもしもできないんなら、荷物をまとめて、今すぐ出ていけ!」
いつしか私の目からはボロボロ涙が流れ始めました。
「ごめんなさい」
私は急いで部屋を出て、首をうなだれて食事していた父の前に座りました。
「さっきはごめんなさい。実は、学校で・・・」
私は一所懸命事情を説明しました。皆が父親のことをどのように語っているかを。
「それで私は自分がおかしいのかと思って、さっきはあんな態度をとってしまったの」
ぼろぼろ泣きながら、私はそう言いました。父は顔を上げると、そんな私の目を覗き込んで言いました。
「マリアは何もおかしくない。お母さんとお父さんが大好きなことは、おかしなことでもなんでもない」
父は言いながら、私の手を握りました。母もその手を握ってきて、三人の手が重なりました。私はおいおいと涙を流しながら「本当にごめんなさい」と言いました。
今でも時々、両親とこの時のことを話題にするときがあります。そんなとき、両親は「あれがマリアの『五分だけの反抗期』だったな」と言って笑います。
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