翻訳としてのデータ分析#29 郷愁のセミコロン
原文抜粋 : コロン「:」とセミコロン「;」の訳し方
セミコロンというのは、カンマとピリオドの間くらいだと思えばいいですね。ちょっと一呼吸あける感じ。
それに対してコロンというのは、「すなわち」「具体的には」というはっきりした意味があります。
『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より
データ分析に置き換えて考える
セミコロンで思い出す。
昔はSQLの文末にセミコロンを打っていたことを。
僕がBigQueryを業務で使い始めたのは、確か2014年末くらいで、日本では早い部類に入ると思う。それから、いくつかの会社を経たが、ほぼBigQueryを使い続けている。
Googleさんには、データ分析プロジェクトに必要なプロセスをBigQueryに集約しようという気合を感じる。この数年で、収集〜分析〜出力・活用までをかなり賄えるようになってきている。今日、同僚の方に、Ads Data Hub の存在を教えてもらった。結果をダイレクトに活用する仕組みもどんどん整えていっている印象だ。
そんなこんなで、僕とBigQueryの付き合いは今後もさらに続きそうな気がしている。
で、そんなBigQueryだが、SQL文に最後のセミコロンを必要としていない。
最初は違和感を感じたけれど、あっという間に慣れてしまった。
ただ、あのセミコロンを打つのは嫌いじゃなかった。
文章に読点「。」を打つのと同じで、区切りをつけてRUNする、という感覚を無駄に増長してくれた。
大学時代の恩師の昔話で。パンチカード式の計算機を使うために、頑張って穴を開けて、計算センターに朝一番で通ってたこと。1日1〜2回しかチャンスがないから、穴あけに神経使ったこと。を聞いた。
そんな恩師の教えの1つに「論よりRUN」というのがあった。
僕もたまに仕事で半分冗談で言う。
でも、RUN1回の重みは時が経つごとに変わってきているんじゃないかなとも思う。
僕ですらも。統計学の授業で、初めてSASのサブミットボタンを押したときは、今より重みがあった。その後ゼミに進んでRでへなちょこなコードを書いているうちに、軽くなっていったように感じた。同じように、SQLもセミコロンを打っていた頃の方が、RUNに手応えを感じていた。
ツールや計算機の性能が向上して、試行錯誤がしやすくなるほど、RUNは軽くなる気がする。
基本的にそれ自体は進歩であり、恩恵は計り知れぬほど大きい。
ただ、RUNが軽くなるほど、思考時間も短くなって、僕にとっては手応えが薄くなった感覚にとらわれるのも、また事実である。今は効率優先で、考えるより先にRUNしてしまい、その結果ありきで、考え始めるケースも多い。
僕はもう少し「RUNより論」に寄ってもいいかもしれない。過去への郷愁のようなことを考えるようになって、自分も歳を取ってきたなと思う。が、重みのあるRUNを繰り出して、世にアウトプットを送り出すのはまだまだこれからだ。
サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!