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『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は、応援歌劇という新ジャンルだと思う

予備知識ゼロで、劇場版スタァライトを観た。映画館で観た。

レヴュースタァライトという概念は、1ヶ月前まで知らなかった。
アニメもゲームもミュージカルも素通りしてきた。

だが職場で強烈に推されて、「これは映画館に行かねばならぬ」という気になった。17回鑑賞したデザイナーさんが、歌詞テキストを巧妙に描いて、その素晴らしさを語っていた。

観た結果、衝撃を受けた。
映画館で、何度も観たくなる作品だった。

感動で涙したわけではない。
キャラクターに恋したわけでもない。
強烈に応援されたからだ。

歌に応援ソングというカテゴリがあるように、劇場版スタァライトは応援歌劇と言っていいと思う。この映画は、ドラマをそぎ落とす一方、レヴューという形式で、映像と音楽の密度を極限まで高めて、少女が葛藤する姿にコミットしている。

レヴューは舞台少女同士がバトルする形を取っているが、対人的な要素は少ない。むしろ自身との闘争だ。「どれだけ自分を乗り越えたか」を競い合っていると思う。

そして、人間関係や才能、環境や将来への不安など、万人にとっての悩みとの闘いが描かれてるので、応援されている気になる。宝塚のレヴューのような普遍性が、劇場版スタァライトのレヴューにもある。

あとは、舞台というモチーフが個人的にツボだった。

舞台に立つというのは、麻薬だ。

僕は大学時代、1度だけミュージカルに出演した。裏方合わせて数十人規模の舞台だった。何人かはその後プロの道に進み、役者やダンサーや制作を生業にしている。学生としては、本格的な舞台だったと思う。

僕のセリフは一言だけだったが、笑いを取る言葉だった。その一瞬のために練習を重ね、思い通りに劇場全体を笑わせた時の全能感たるや。生を鮮烈に実感した瞬間ベスト3に今もランクインしている。

あるいは、スポットライトを浴びて真っ白で何も見えなくなったこと。その中で歌った時の異世界感たるや。

この舞台がいつまでも続けばいいと思った。
舞台を追い求めて生きていくのは、この上なく素晴らしいと思った。
麻薬経験はないが、恍惚感にハマるという意味では、舞台も近しいものがあるんじゃないかと思っている。

だから勘違いかもしれないけれど。
スタァライトするのも、されるのも、体感としてちょっとわかるのだ。
胸を刺す衝撃を浴びてあの頃に戻れないのも、ちょっとわかるのだ。
野菜キリンが燃えて糧になるのも、ちょっとわかるのだ。

僕は決起集会にいる1人くらいの存在だったけれど。
選ばなかった過去たちに讃美歌を捧げたい気持ちも、ちょっとわかるのだ。

ただ、電車は次の駅へ行き、僕は迷わず舞台を降りた。公演終了後、徹夜で打ち上げした足で、研究室の授業に出席し、その研究分野の延長で仕事に就いた。

しかし劇場版スタァライトは、当時の舞台にまつわる色んな気持ちを思い出させてくれた。舞台をテーマにしたコンテンツは数多あるが、僕にとってはこの作品が、舞台に立つ気持ちの再現度が最も高かった。

そして誰しも、舞台少女にとっての舞台にあたるものがあるだろう。そういう意味でも、応援されるのだと考えている。

この応援はきっと万人に通じる。パラリンピックの開会式のデコトラの評判が良かったように、スタァライトのレヴューを再構築したコンテンツを、東京五輪の開会式で実現していたならば、印象深い五輪になったのではないだろうか。何より選手が心奮わせたと思う。

普通、前提知識なく映画版を観て感動したならば、本編に立ち返りたくなる。だが劇場版スタァライトは、本編はさておき、もう1回映画を観たいという気になった。

それくらい、レヴューが、パフォーマンスとして独立して昇華されている。『アベンジャーズ/エンドゲーム』の「アッセンブル」で、打ちのめされるくらいアメリカ凄いと思ったけど、日本もやっぱり凄いと思った。

自分も頑張ろうと思います。ロードショーに間に合って、映画館で観られてよかったです。よき映画をありがとうございました。


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