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翻訳としてのデータ分析#37 一人歩きできる資料

原文抜粋 : テキストが全て

その小説の中で固有名詞、なんでもいいんですけど、車の名前が出てきたとして、この車が高級車なのか安い車なのかで話が変わってくるなと思ったら、それはどっちなのか調べる必要がありますよね。

そりゃ調べますよ、調べるけど、そういうことをコツコツやるのが翻訳道だ(笑)みたいな言い方はしたくない。いちばん大事なところはテキストに書いてなければ噓だ、というか、テキストから読み込めなければ噓だろうという気はするんですよね。

『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より

データ分析に置き換えて考える

アカデミックなレポートの書き方を、仕事でも一部踏襲している。
その1つが、分析の条件を示すこと、だ。

僕は基本的に、データの出どころ、処理の過程を記す。
脚注とか見えないところに、残しておく。

なぜか。

再現性を担保するためではない。再現するなら、コードを共有すれば済む話だ。それより重要なのは、資料やダッシュボードが一人歩きできること、だ。

昨今、BIツールや分析ツールが進化して、チャートが人類の目に触れる機会は増えている。昔より確実に増えている。だが、集計基準や分析のエッセンスが明確に記されていないケースもある。

もちろん、デザインを損なうところに書いてある必要はない。だが、知りたい人がアクセスできるルートは確実に用意してお区べきだと思っている。そのチャートから示唆を得たいと思った人や自分なりに事実を探索したい人にとって、結果の出どころは重要だからだ。

事実を過不足なく解釈することと、データの範囲はセットだ。
いま目にしているデータが、どうつくられたかを知らねば、意思決定の材料にはできない。だから、その大事な部分は確実に記しておく。

分析者として仕事を成し遂げる力と、データ生成過程を簡潔に説明する力は、割と相関していると僕は思っている。データの出どころや処理方法を、テキパキ答えられる力を僕は割と重んじている。

一人歩きできる資料にせよ。
かつての先輩からはそう教わった。

これから益々テクノロジーが進化して、扱われるデータが多種多様になるケースも増えてくるだろう。身元不明のデータも混入しやすくなると思う。食品じゃないけど、データもトレーサビリティが重要になる時代がいつかくるだろう。

そうした時代を堂々と迎え入れられるように、自身が提供するものに関しては、ちゃんと説明し続けていきたい。

サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!