翻訳としてのデータ分析#33 素養とは活かし難きもの
原文抜粋 : neverの翻訳は難しい
neverと「決して」は全然違います。neverを「決して」と訳すことは実はほとんどない。どう訳したらいいか難しいことがけっこうあります。
『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より
データ分析に置き換えて考える
データ分析の仕事をするにあたって、素養として必要な学問がそのまま活かせるケースは実はほとんどない。どう仕事に活かすか難しいことがけっこうあります。
だから僕は年を経るほど、履歴書を見て、資格や専攻といった素養に心が動かされなくなってきている。
ディープラーニング検定。イイね!
統計検定。エラい!
Kaggleのメダル。スゴい!
以上。
資格に関して言うと、仕事に活きるのは資格をとった背景だと思う。
例えば、転職志望者が一念発起して勉強して、現職と並行して並々ならぬ努力をして資格を取得した場合。これは、実際に仕事で難局を打開する力に近似しやすい。
例えば、たまたまデータを触れた時の興味が高じて、Kaggleにハマってしまった場合。これは、データとにらめっこして、活用に執着する力に近似しやすい。
一方、職種のニーズの高まりを背景に転身を図っているようなケースは眉唾物だ。業界で生き抜くために、努力を続けるのには、結構な情熱や根性が必要になってくる。
大学で関連分野を専攻しているケースも最近かなり増えている。
だが思い返せば、大学時代、就職しやすさや何となくの志向で、ゼミを選択している学生はたくさんいた。10年前だったとして、目の前の子はどういう選択をしているか、そこを考える。
以前、イベントで話したことがあるが。
「データアナリストに求める統計学の知識は、どのくらいのレベルか?」という質問を受けることがある。それに対してこう答えた。
実務的にいうと、「論理的思考」とか「数字の罠にはまらない」っていう意味で(知識は)あってほしいっていう場合がありますね。統計検定2~3級あれば大体、大丈夫だと思うんですけど。
ただ、個人的に言うと「統計学は好きであってほしい」っていうのがありますね。好きであってほしい。あるいは、そこに奥深さを感じてほしいっていうのがあります。
統計学って、先人が「見たいものを定量的に表現するためにどうしたらいいのか」っていうのをがんばって突き詰めてきた学問だと僕は思っています。そのエッセンスを感じたり、そこに興味を持ってもらえたらいいなって思います。データ好きや分析好きの根幹としてそういう気持ちがあったら、仲間として心強いです。
この考えは今も変わっていない。
統計学は多分、好きになりにくい学問だ。何周も勉強してようやくわかることが多い。わかりやすく教えてくれる本も少ない。わかりやすく教える人も少ない。
たまに理論だけで好きになれるオタクもいる。けれど、その理論が生まれた背景や目的や用途を想像することで好きになるパターンが王道だと思う。それで好きになっている場合は、仕事にも通じやすく、僕としては一緒に働きやすいと感じる。
そんなこだわりを言ってると、人材の裾野が広がりにくくて、きっと老害なんだろうなと思いつつ。好き者を増やせるように活動していけたらいいなと思う。
サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!