マガジンのカバー画像

ぼくはデータ分析という翻訳について、こう考えています

52
データ分析における、職業観や哲学のようなものを、まとめたマガジンです。『ぼくは翻訳についてこう考えています 柴田元幸の100の意見』に沿いながら考えていきます。僭越ながら、分析職…
運営しているクリエイター

記事一覧

翻訳としてのデータ分析#1 理想のデータ分析

まえがきデータ分析は翻訳に似ている、と思っている。どこかに100%の事実(=原文)があるとして、それをデータとして集めて整理して伝える(=翻訳)、という側面がデータ分析にはある。 大学時代、心理統計学のゼミにいた。恩師がたまに用いる枕詞に「もし神様が全部知っていたとして〜」というのがあった。その言葉が好きだった。全知な存在が見ている景色にどうすれば近づけるのか。どうデータを扱えば100%の事実を可能な限り再現できるのか。 修士課程まで勉強して、その翻訳で食っていけたらいい

翻訳としてのデータ分析#2 データ分析という行為を視覚化すると

原文抜粋 : 翻訳を視覚化すると 「翻訳する」という行為を視覚化してみると、ここに壁があってそこに一人しか乗れない踏み台がある。壁の向こうの庭で何か面白いことが起きていて、一人が登って下の子どもたちに向かって壁の向こうで何が起きているかを報告する、そういうイメージなんです。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考える 僕はニュースを見るのが苦手だ。大体いつも、「本当のところ、どうなっているんだろう?」「全体、どうなっ

翻訳としてのデータ分析#3 分析「者」とは誰か

原文抜粋 : 訳している「僕」とは誰かコアの部分っていうのは10代20代でできていると思います。だから訳すときも54歳の僕が訳しているという感じはあまりしないですね。54歳の僕が得た知識で若いころの僕を助けている気はしますけど。根底に通っているのは何も変わっていないと思います。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考える  僕は採用場面で、「データ好きなやつ」を重んじることが多かった。 それはタフで泥臭い作業の多い

翻訳としてのデータ分析#4 大将軍の気分

原文抜粋 : 小説家の気分自分が英語で得たものを他人に日本語で伝えるのがなぜ快感なのかは、よくわからないんですけどね。たぶんそれは、単純にやっぱりいい小説を訳すのって、半分そのいい小説を書いていた人間になったみたいな錯覚に陥れるからだと思うんですけどね。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考えるデータ分析職の利点の1つに、経営の意思決定層に近づきやすい、というのがあると思う。一般社員だとやり取りする機会の少ない、会

翻訳としてのデータ分析#5 思考を阻むもの

原文抜粋 : 影響されやすい人間いいか悪いかはまったく別として、僕はアッという間に影響されるんですよ。何かを読んで、そのあとに訳すと、読んだものが何となく反映される気がするんですね。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考える先輩から学んだことを「分析メモ」として残している。その1つにこんなのがある。 <繰り返し考える> ・毎回本質に立ち返る ・どこまでいっても思考を停止しない。1歩上、もう1歩上へ ・その結果を、

翻訳としてのデータ分析#6 プラモデルと数理モデル

原文抜粋 : 音楽に例えるならライブの会場に居合わせなければ感じられない熱気のようなものは確実に存在する。どうしたって「損をする」ことは避けられないのである。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考える lost in traslation。情報が確実に損なわれることは、1話目で既に書いた。今回は、数理モデル(機械学習モデル含む)に特化して考えたい。 モデルという概念が、イマイチ理解できなかった。 5年近く勉強し

翻訳としてのデータ分析#7 分析の起承転結

原文抜粋 : いくら正確でも訳者が原文を読んだときに感じたような快感が伝わるような訳文になっていなければ、いくら正確でも意味はない。 「あなたにとって翻訳とは何ですか」と問われたら、迷わず「快感の伝達です」と答えます。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考える 「でっ?ていうのが多いんだよね」 かつてのボスがそう言っていた。どうすればいいのか、がわからないアウトプットが君たちには多いと。 単に数字を整理・集約

翻訳としてのデータ分析#8 生きがいを感じるほどの分析がしたい

原文抜粋 : 最も生きていると感じるとき翻訳がはかどっているときは、(中略)、字がノートに現れるのを眺めている感じである。ペン先から出たばかりのインクは、まだ濡れて光っている。 その瞬間を「最も生きていると感じるとき」と呼ぶのが自分にとっては間違いなく一番しっくりくる。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考える「生きがいを感じるほどの分析」から連想する話が2つある。 1つは、行動経済学者のダン・アリエリーさんの

翻訳としてのデータ分析#9 データに「いただきます」と合掌する

原文抜粋 : 日本の翻訳者は偉い?どうも西洋には自分たちより優れた文明があって、それになんとか追いつかなきゃいけない、その仰ぎ見る視線の途中に、つまり、西洋と日本の間に翻訳者は立っていたわけで、翻訳者自体は何も偉いことはないんだけど、なんとなく仰ぎ見る途中にあるから、それなりに偉い人、みたいに見てもらえる、そういう流れがあったのじゃないかと思います。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考える これは、データ分析にも

翻訳としてのデータ分析#10 サイクル図がないPDCA

原文抜粋 : 翻訳のように見えない翻訳 「西洋は進んでいる」という価値観は訳し方にもあらわれていて、原文に対するリスペクトは欧米の翻訳者よりも日本の翻訳者の方が強いです。だから、英語の原文には忠実だけど日本語としては不自然というケースがどうしても多くなる。 欧米では「翻訳のように見えない」というのが翻訳の理想なんです。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考える 自分が言いそうになったとき、余程自信がない限り、使わ

翻訳としてのデータ分析#11 データは増える、うねりは続く

原文抜粋 : なぜ今、翻訳が注目されるのか読者が小説を読むときに、昔ほど中の思想とかメッセージとかに集中するのではなく、文章のトーンとか、あるいはその小説の中の人たちの語り、しゃべり方、語り口とか、そういうことにも神経を注ぐようになっている、小説をより丁寧に「聞く」ようになっていると思います。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考えるそのまんまもじると、 分析者がデータを扱うときに、昔ほど手法とか理論的背景に集中

翻訳としてのデータ分析#12 絵描きと分析者

原文抜粋 : 自然さも等価で翻訳ではいろんなことを伝えなきゃいけないわけです。いろんなことを等価で再現しなきゃいけない。もちろん意味が等価であるというのはひとつありますが、自然さも等価じゃなきゃいけない。 もしかしたら場合によってはいわゆる表面上の意味以上に大事かもしれない。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考えるデータ分析においては、意味が等価であることを、もっと大事にすべきだと僕は思っている。分析者が感じる

翻訳としてのデータ分析#13 ベストエフォート型分析

原文抜粋 : 正しくて当たり前コンピュータの師匠に「なんか僕のパソコン、壊れたみたいなんだけど」と言ったら、「コンピュータなんてつねに壊れてるんです。どう壊れていて、それにどうつき合うかが大事なんです」と諭されました。それと同じで、「翻訳なんてつねに誤訳なんです」という言い方は絶対に可能です。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より データ分析に置き換えて考えるデータ分析なんてすぐミスります。と、僕はよく言う。 その上で。 このポイントと

翻訳としてのデータ分析#14 知的元手をかけるとは

原文抜粋 : 「翻訳蔑視」はむしろ正当 個人的には、しかし、アカデミズムにおけるそのような「翻訳蔑視」はむしろ正当ではないかと思わないでもない。学者の仕事に「独自の思考」という言葉でひとまずまとめられるようなものが求められるとすれば、翻訳はありていに言ってそのようなものなしでもできる作業だからである。 独自の思考云々は抜きにしても、知的元手がかかった数十ページの論文一本を書く手間は、小説を何冊も訳す手間に匹敵する。 『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見1