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翻訳としてのデータ分析#2 データ分析という行為を視覚化すると

原文抜粋 : 翻訳を視覚化すると

「翻訳する」という行為を視覚化してみると、ここに壁があってそこに一人しか乗れない踏み台がある。壁の向こうの庭で何か面白いことが起きていて、一人が登って下の子どもたちに向かって壁の向こうで何が起きているかを報告する、そういうイメージなんです。

『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より

データ分析に置き換えて考える

僕はニュースを見るのが苦手だ。大体いつも、「本当のところ、どうなっているんだろう?」「全体、どうなっているのか?」となってしまう。それがわからないと思考を進めにくいので、ついニュースから遠ざかってしまう。

その点、データ分析はいい。

データに限界はあれど、その範疇においては、何がどうなっているのか、遍く把握することができる。そしてそれを最初に知るのは、データに触れた者である。

カッコよくいうならば。
自分だけが見ている面白い景色がある。

その景色を見渡して、驚いたことや、感動したこと、みんなに知らせるべきことを、伝える。あるいは、統計モデルやダッシュボードのような便利な形で渡したりする。それが僕にとってのデータ分析だ。

もう少し言うと、最新の技術を取り入れたり理論を学ぶことは、見える景色を広げるためや、伝える力を高めるためだ。とは言え、ピカピカの新卒も、バリバリの経験者も、理論ゴリゴリの人も、技術ツヨツヨの人も、データ分析職である以上、多かれ少なかれ、その人だけが見ている風景が確実にある。

時に重大な責任は追うけれども、他の誰も立ち入れない場所で、真っ先に事実に近づき、自分が認識したものを伝える。そのイメージはまさに、柴田さんの言う、翻訳作業の視覚化イメージと同じである。

ビジネスパーソン一般においては、ニュースのような限られた情報を手掛かりに思考を進める力が、大事だと思う。一方、データ分析職にとっては、自身が触れたデータの、情報としてのポテンシャルを過不足なく引き出す力が重要だ。

どこまで見えているのか?
何が起きているのか?
何が起きていないのか?
何をアナウンスすると、みんなが思考を進めやすくなるのか?

そうした問いかけをクリアして、壁の向こう側で何が起きているかを、伝えていきたい。壁の上の翻訳者として、信を置かれる存在でありたい。

サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!