翻訳としてのデータ分析#11 データは増える、うねりは続く
原文抜粋 : なぜ今、翻訳が注目されるのか
読者が小説を読むときに、昔ほど中の思想とかメッセージとかに集中するのではなく、文章のトーンとか、あるいはその小説の中の人たちの語り、しゃべり方、語り口とか、そういうことにも神経を注ぐようになっている、小説をより丁寧に「聞く」ようになっていると思います。
『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より
データ分析に置き換えて考える
そのまんまもじると、
分析者がデータを扱うときに、昔ほど手法とか理論的背景に集中するのではなく、ビジネスフローにどう載せるかとか、実装にどう落とし込むかとか、そういうことにも神経を注ぐようになっている、データのポテンシャルをより「引き出す」ようになっていると思います。
というのが、私見だ。個々のケースはさておき、全体の潮流を見るとそんな気がする。
僕が5年くらい前から、就活生に「データ分析職は今度どうなると思いますか?」と聞かれたときに、言い続けていることがある。
データは増え続ける。
技術は進歩し続ける。
人は知りたがる生き物である。
以上!
だ。技術が進歩して、昔より遥かに大量のデータを扱いやすい時代になった。Google BigQueryが登場したときの衝撃は忘れられない。あの速さと安さ。僕はもう定年までGoogleのお世話になりそうだ。
データのアクセスしやすさだけではない。分析系言語も、BIツールもAIツールも進化を続けている。世界中の頭脳が便利なツールを進化させ続けている。
俊英たちに張り合ってツールをつくる方に行けたらカッコいいと思う。でも既存のツールを用いて、適切に応用できるだけでもいい。それだけで十二分に活躍できる余地はあるし、その余地は増え続ける。
それくらい、データ系の技術は進歩・開放され続けている。この10年で、実稼働するデータ分析システムが世界中でどれほど増えたことか。今はまだ対応できない課題で、将来対応できるようになることも多いと思う。
個人レベルでいうと、懸命に学んだことが陳腐化したり、苦心して作ったものがGoogleのAPIに蹂躙されたりするだろう。「データ扱うやつらも言うほどすごくなかった。すごいのはツールだった」という認識が広まるタイミングも来るだろう。
それでもやはり。
データが圧倒的な効率化や適切な意思決定を生み出す場面は、今後も増え続けるだろう。得られるビジネスのフルーツは増え続けるだろう。
データ系人材も、いちビジネスパーソンとして浮き沈みは確実にある。でも大局的には、課題とソリューションをキャッチアップし続けて、ビジネスにコミットできれば、市場価値は向上し続ける、と考えている。
(ウォーレン・バフェットさんの長期投資のようなイメージである。)
もちろん、すべては僕の妄想で、全部的外れかもしれない。
でも僕は、今のキャリアに懸けるつもりでいる。分析屋として、誠実に仕事を続けることで、まだまだうねりが続く大波に乗っていけると信じている。
サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!